甘酒の歴史・読み物

甘酒の歴史 vol.3
明治から平成

甘酒の歴史 vol.3明治から平成

甘酒が過去の物となり、再び注目を集めた近現代
―古代から現代に続く甘酒の軌跡

甘酒の起源から現代に至るまでの軌跡や各時代の様子を、3回にわたって紹介する連載の最終回。市民のあいだで親しまれた江戸時代の甘酒について紹介した前回に続き、今回は甘酒が明治、大正、昭和と移り行く中で、当時の人々の生活にどのように関わっていたのかをご紹介します。

▶︎甘酒はいつ、どのように生まれた?
▶︎甘酒が市民に根付き、広く親しまれた江戸時代

甘酒の栄養や成分が化学的に解明され始めた明治時代

※イメージ画像

明治(1868~1912年)の世になっても、東京では相変わらず甘酒が売られていました。「甘い~甘い~」という掛け声で市中を売り歩く甘酒売りが多く、販売時期は夏から秋にかけてのみ。子供に人気があったそうです。

当時の医学博士の話によると、甘酒は麹を使用する飲み物で、消化酵素を含んでいて消化も良く、飲みすぎなければ子供が飲むのにとても適した飲み物だといわれていました。

この時代の職業案内書には、甘酒売りの季節は春から秋にかけて、特に売れるのが6~9月。甘酒を売る際の道具の貸出や、販売用の甘酒を売ってくれる甘酒問屋という商いもあったようです。甘酒売りの商売は、資金がなくても身元保証人がいれば即日始められ、売上の半分が利益として手元に残るという割のいい仕事でした。

また、甘酒は当時の俳句にもいくつか登場。中でも、田舎味噌を仕込む寒い時期の甘酒について詠った正岡子規の「味噌つくる 余り麹や 一夜酒」、雷が鳴る夏の時期の甘酒について詠んだ矢田挿雲(やだそううん)の「甘酒を 煮つつ雷 聞(こ)ゆなり」の2句が、代表的なものとして残されています。

そして、1904年(明治37年)には、現在の「独立行政法人酒類総合研究所」の前身である「国立醸造試験所」が設立され、甘酒の一般成分などの分析もなされるように。甘酒がどのような飲み物なのかを、化学的に明らかにする動きが見られるようになりました。

関東大震災をきっかけに甘酒が鳴りを潜めた大正時代

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大正時代(1912~1926年)は、甘酒売りのしくみも明治時代と変わらず、甘酒問屋から道具を借り受け、担いで売り回るという様子だったようです。

大正前期の文献には、甘酒を売るのに適した場所は労働者が集まる街のほか、学生の街であった神田、本郷、芝浦。さらには、浅草公園、麻布、赤坂、四谷、新開地の町や村、または芸者屋や料理店の待合茶屋も適していたとあります。また、甘酒売りがいかにいい仕事であるかなどの紹介も多く見られました。

しかし、あるときからぱったりと甘酒売りの様子が見られなくなります。それは、大正12年(1923年)に起こった関東大震災がきっかけ。それ以降は、甘酒売りに関する記述がほとんどありません。

これは、後述する昭和初期の文献も加味した考察ですが、甘酒やその道具を供給していた商いへの打撃、震災後の復旧、そしてさらなる西洋化によって、時代にそぐわなくなってきたのでしょう。

高度経済成長を機に
甘酒が「過去の物」となった昭和時代

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関東大震災からの復興、そして第二次世界大戦、戦後の高度経済成長と、変化に富む昭和時代(1926~1989年)。昭和5年(1930年)の書物「彗星:江戸生活研究. 第5年」には、「東京では甘酒売りが見られなくなった」「三越や白木屋などの百貨店で良い服を買う世の中になったからなのか」といったことが書かれています。一方、都市部以外の農村ではまだ親しまれていたようです。ここで、江戸後期から夏に親しまれていた甘酒売りが、東京からなくなったことがわかります。

そして、昭和16年(1941年)に太平洋戦争が開戦し、日本は第二次世界大戦の時代に突入します。戦時中は、日本国内で収穫された米の使用制限がかかっていたものの、東京都内では輸入米で甘酒が作られ、瓶詰で売られていたり、店頭で直接販売されていたりしました。また、甘い物が食べたくなったら、甘酒を飲むことを奨励していたようです。

昭和20年(1945年)に第二次世界大戦が終わると、昭和25年(1950年)に開戦した朝鮮戦争をきっかけに、昭和29年(1954年)から19年間続く高度経済成長期に。こうして、発展を遂げた今ある日本の姿が形成されていきます。

このころの、都市部における甘酒にまつわる情報は見られなくなりましたが、地方では戦後もしばらく甘酒を用いた祭りが続けられていた模様です。しかし、高度経済成長期に突入すると、地方でも次第に甘酒が作られなくなっていきました。

その理由は、祭りの担い手が都市部に移住してしまった、または参加しなくなったことによる人手不足、経費不足など、理由はさまざま。そして、担い手が高齢化して祭りの継続が不可能になったことも聞かれるようになりました。

甘酒が徐々に姿を消していった大きな要因は、やはり「人々が喜んで飲まなくなった」ことではないでしょうか。高度経済成長期に突入して、家電の「三種の神器」のひとつである冷蔵庫が登場し、人々の生活様式や食生活が大きく変化しました。そうして、昔ながらの甘味源である甘酒の需要は徐々に少なくなり、忘れられていったというのが実情でしょう。

しかし、それでも甘酒が完全になくならずに残っていたのは、「神様に甘酒をお供えし、それを人々に振舞う」という日本古来の習慣が残っていたため。それが、甘酒が「なんとなく冬の寒い時期に神社や寺で飲む物」として根付いたのかもしれません。

「麹」への注目から甘酒がブームになった平成時代

平成23年(2011年)頃に塩麹ブームが起こり、続いて同じく麹で作った甘酒が、健康意識の高い女性を中心に注目を集めるようになりました。その当時、テレビや雑誌などでは甘酒について、「江戸時代は夏バテ防止に飲まれていた」「日本書紀に登場する木花咲耶姫(このはなさくやひめ)という女神様が誕生させた」といったことが語られていたものです。そして最近では、スーパーマーケットだけでなく、コンビニエンスストアの飲料売り場などでも甘酒が売られるようになるなど、一般に浸透してきました。まさに、平成の後期に甘酒文化が再興したといってもいいでしょう。

2019年5月に平成から令和へと元号が変わり、今の甘酒ブームもいつかは遠い昔の歴史のひとつとなる日が来るかもしれません――そんな時代の変わり目に、日本に古くからあった甘酒の歴史を振り返ってみました。

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