甘酒の歴史・読み物
甘酒祭りレポートVol.10
和歌山県加太淡嶋神社の甘酒祭
人形供養と雛流しの神社としても有名な和歌山県にある加太淡嶋神社の甘酒祭
和歌山県和歌山市の加太淡嶋神社(かだあわしまじんじゃ)は南海電鉄加太線の加太駅より徒歩20分のところに鎮座しており、全国の淡嶋神社・粟嶋神社・淡島神社の総本社になります。
主祭神は薬の神様とされる少彦名命(すくなひこなのみこと)と、大国主命(おおくにぬしのみこと)、神功皇后(じんぐうこうごう)の3柱。少彦名神は不妊、婦人病、良縁に至るまで女性の悩みを救う御祭神ですが、酒造りの神としても有名です。
人形供養と雛流しの神社として、日本人形を始め十二支の置物や、その他もろもろの人形が集う驚きの景観としても知られています。
古くは近郊の都市から約3000人にも及ぶ女性の参拝者が集まり、その年に収穫した新米で作られた甘酒を頂いていたそうです。
秋の大祭(甘酒祭)では、少彦名神を酒造の神とし、新米で造った甘酒を神殿に供え、参拝者の無病息災を願い参拝者に振舞います。
※本記事は、2017年10月3日に開催された祭りの模様を取材した記事です。
淡嶋神社の歴史とは
淡嶋神社の始まりは神功皇后の時代、200年代(3世紀)頃。神功皇后が朝鮮出兵の岐路に、瀬戸内海で嵐に合われた際に、神に祈りを捧げると、『船を海流に任せて進めなさい』とお告げを頂いたそう。
そしてたどり着いた島が、友ヶ島(淡路島と加太の地の間の紀淡海峡にある沖ノ島・虎島・地ノ島・神島が集まる島)で、ここに祀られていた少彦名神と大国主に御礼の品を献上しました。その後、神功皇后の孫である仁徳天皇(16代)が狩りに来られた際に、この伝承を聞き、島では不便であろうという配慮から、対岸の加太の地に遷宮し、現在の淡嶋神社となりました。
当社は雛祭発祥の地の一つでもあり、少彦名命を男びな、神功皇后を女びなとし、淡嶋神社の遷宮の日時が仁徳天皇5年3月3日であることから、雛祭は3月3日になったとのこと(全国神社大閲覧より)。雛祭の語源もスクナヒコナ祭の名を簡略化したものであるという伝承があるそうです。
江戸時代には紀州徳川家に姫君が誕生すると必ず1対の雛人形を当社に奉納する習慣があったそうで、社殿の中に大きく立派な雛人形が散見された理由が垣間見られました。
いよいよ神事がスタート!
祭りは11時から予定通りスタートしました。
宮司さんが本殿に入殿し、太鼓を叩き、柏手をうち、神言葉を唱え始めます。静かな始まりから神事を進行していき、最後に壺に入った神に供えた甘酒が退殿し、神事は終了しました。
神前に供えた甘酒は、予め用意された鍋に加え混ぜられた後に参拝者に配布されます。
巫女さんから伺った話によると、少々お砂糖が加えられてはいるものの、全麹仕込みの甘酒とのこと。味は生姜の香りが立ち、甘味は強すぎず弱すぎずで、程よく美味しいです。
水筒やペットボトルにも注いでもらえるので、参拝者の中には大きな水筒を持参し持ち帰る姿も見られました。
- 開催日:
- 10月3日11時から開催
- 開催場所:
- 和歌山県和歌山市 加太淡嶋神社