今日がうれしくなる器

食卓に日本の木を取り入れて

2014/03/12

日本には全国に個性豊かな器が存在し、さまざまな文化やつくり手の思いを伝えています。またそうした品々の存在は日常に華やぎを与えてくれるものです。そこで器ギャラリーオーナーに、日々の暮らしや季節の移ろいを彩る器をご紹介いただきました。

例年にない大雪がまだ融けきらないなか、ギャラリー「夏椿」の店主、恵藤 文さんとともに、木工作家の須田二郎さんのアトリエを訪れました。

木目が美しい生木の器

私たちが須田さんのアトリエに到着したとき、須田さんは製作の真っ最中。足下にごろごろと丸太が転がるアトリエで、おがくずを体にいっぱい浴びながら、木工旋盤という機械をつかって木を削っている。熟練の職人さんによる仕事は往々にしてそうだが、須田さんの手元を見ていると、その作業はいとも簡単そうに見える。まるでどんな形に削りだされるのか、木自身が知っているかのように、丸太から器が削りだされていく。須田さんが木工に使うのは、雑木林の木や家具として使用されたあとに捨てられる「落とし」と呼ばれる部分。
木の種類は、ソメイヨシノや樫などさまざまだ。木をそのままに削った器は、ひとつひとつ木目に表情があり、本当に美しい。

日本の木を生かす

削られて形になったサラダボウルは、さっと乾かされてから、やすりにかけられてより滑らかな質感になる。
「僕の器は生の木を使うから、乾かさないとやすりにかけられないんですよ」と須田さん。

今でこそ、生の木をそのまま使った器は珍しくないが、ひと昔前までこうした製作方法による器は存在しなかった。「もともとは、1980年初頭にアメリカやオーストラリアで始まった技術。日本に入ってきたのは1998年とごくごく最近のこと。僕がこの技術を知って取り組み始めたのもこの頃」と須田さんは言う。
須田さんがこうした木工に取り組むようになったのには理由がある。須田さんは、パン職人や自然農法による農業を経験したあと、木こりとなり、炭焼きなどで生計をたてていた。そして日本の林の大きな問題に直面する。

「僕がつかう雑木林の木というのは、里山の木ということです。昔は、炭にしたり、薪にしたり、落ち葉を集めて堆肥などをつくっていました。人が暮らしのために木を切ることで自然と共存し、よいサイクルを保っていたのです。しかし、暮らしの変化によって里山は放置されるようになり、適正な管理がされなくなってしまいました。昔は山主と木こりには親密な関係があったけれど、今では世代がかわり、山の持ち主も自分の山がどこにあるのか、よくわかっていないし、木こりとの関係も途絶えてしまっています。そうなると林は荒れる。それではダメだと、国が助成金を出して木を切らせる。でも産業としてはまわっていないから、せっかく切った木もチップになったり、椎茸の原木になるくらいで、そのほとんどは産業廃棄物になってしまいます。林業がしっかりと産業として根付いているアメリカやカナダに比べると40年も50年も遅れているのが日本の林業なんです」。

こうして須田さんが日本の木の現状に問題意識を持つうちに出会ったのが、アメリカなどではじまった木工旋盤による作品づくりだった。「捨てられてしまう木を生かすひとつの道かもしれない」。そう思った須田さんは、さっそく製作に必要な機械を手に入れ、製作に取りかかる。しかし、その道のりは険しかったという。
「最初はまったく相手にされなかったね」と須田さん。もともと日本の伝統的な木工では、何カ月も何年もかけて木をしっかりと乾燥させ、歪みをとって器をつくる。「乾かしていない木をつかって器をつくるなんて、そんなものが売れるわけがない」と言われたそうだ。
「でもスタイリストさんや、料理研究家さんが『これ、いいですよ』って使ってくれて、僕もそうした専門家の意見を聞いて、どんなものが暮らしのなかで使いやすいか、市場に受け入れられるかを考え、今のように皆さんに知っていただけるようになったんですよ」。
だから須田さんは作品づくりのための木を選んだりはしない。「そこにある木を生かす」それが、須田さんがもっとも大切にしていることだ。

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