私らしく、美しく(医食同源)。
漁師町に息づく きずなの料理
2014/05/09
漁師町に息づく きずなの料理
私らしく、美しく(医食同源)。
2014/05/09
清さん:もうひとつご紹介したいのが、西伊豆の田子という漁師町の『塩鰹』です。
『塩鰹』とは、新巻鮭の鰹版といえばわかりやすいでしょうか。鰹に塩をして、干した保存食です。田子では、年の瀬になると、この『塩鰹』を船主さんが乗組員さんに「おつかれさま」という気持ちを込めて贈るんですね。さらにそこには、「来年もこの船に乗ってくださいね」というメッセージも込められているそうです。
ミヨコ:今年限りであれば、贈られない? それはとても大切な贈り物ですねー。
清さん:そうなんですよ。ですから贈られた家庭では、まずこの『塩鰹』に藁飾りをつけ、神棚に飾るんです。そうして年を越し、三が日まで祀ったあと、三枚におろし、今度はその半身を船の神様にお供えします。そして、残りの半身をいただくんですね。切り身にしたり、あぶってお茶漬けにしたり。鰹を干したものですから、よい出汁が出てとてもおいしいんです。ちょうど冬場で、海が荒れ、漁に出る日も減るので、日々の食事として、少しずつ少しずつ家族で大切にいただくようです。
ミヨコ:とってもおいしそうですねー。でも塩鮭に比べて、塩鰹とは聞き慣れませんが、この地方にしか残っていないのですか?
清さん:昔は、日本各地でつくられていたようですが、今もつくっているのは、ここだけだそうです。少し離れた集落の方に伺うと「塩鰹? 聞いたことがない」って。とても局地的な郷土料理ですね。やはり、「贈る」文化があったからこそ、なくなることなく今に受け継がれてきたのだと思います。
昔に比べて、自分で船を持つ人も増えたでしょうし、船の安全性も大昔とは違うと思います。それでも、海に出るのは命がけであることや、互いに安全を願う気持ち、きずなを深めて協力し合おうという気持ちは、今も昔も変わらないのでしょう。漁師町らしい文化・習慣だと言えるかもしれませんね。
ノブエ:田子では、若い人にとっても『塩鰹』は馴染み深いのですか?
清さん:近年は、B級グルメのように『塩鰹』を打ち出し、町の外の人にも知ってもらおうという動きが、若者を中心に高まっています。しかし住人の意見は割れたといいます。「塩鰹というのは、神様にお供えしていただく神聖なもの。町おこしに利用するものではない」というのが、反対派の意見だったようです。
それを聞いて、私はハッとしました。食文化とは、そういうことなのだなと。住人みんなが「おいしいから、たくさんの人に食べに来てもらいたい」と思うわけではなく、背景にある意味を尊重し、一般に広める必要はないという考えもあるわけです。どちらが正しいということではありません。さまざまな考え方があります。それを乗り越えながら、食は受け継がれていくのだと思います。
ミヨコ:確かにその土地ならではの食文化が次世代に受け継がれなくては寂しい。でも暮らし方が変われば、手がかかる料理をする人や文化を継承する人が減ることは、仕方がないこととも言えますね。
清さん:はい。食文化とは自ずと移り変わるものであり、自然に任せるという考え方もありますから。一方で、形を変えてでもなくさず、受け継いでいきたいという思いもあります。そんななか、今改めて見直されているのが給食の存在です。
ノブエ:給食ですか?
清さん:昨年、和食がユネスコ無形文化遺産に登録されました。これは、国や地方自治体、業界関係者にとっては、「和食文化をしっかりと受け継いでいかなくてはいけない」という大きな後押しとなっています。そして、これは給食について改めて考える機会にもなっているのです。
実は、今の若い世代の中には、「和食を受け継いでいこう」と話しても「なぜ、受け継がないといけないんですか?」という反応があるそうなんです。つまり「私は、パンやパスタが好きなのに、なぜ和食を守らないといけないのか?」という素直な疑問があるんですね。これには、私も驚きました。自国の食文化を守ろうという話がスッとお腹に落ちない、理由がないと飲み込めなくなってしまっているのです。
ノブエ:「なぜ守らないといけないのか?」と聞かれても返答に困りますね…。
清さん:たとえば、食育の進むフランスでは、フランス料理を守ろうという話を若い世代にしても、そこに疑問などありません。「自分たちの食文化なのだから、そりゃそうだよね」となるんです。でも日本では「なぜですか?」となる。和食や和食文化が世界的に評価されても、若い世代の心が和食から離れていては、受け継がれるのは難しくなります。どんなにマスコミや国や企業が、和食や郷土の味の素晴らしさを説いたとしても、受け継ぐのはその土地で生活する人たちですから。そういう意味で、“若い世代にも和食文化の教育を”という意見が活発化してきているのです。
ミヨコ:教育ですか。
清さん:はい。若い世代にとってみれば、和食について知識を得る機会がない。家庭の食卓にはごはんだけでなく、パン、パスタ、うどんなど、主食だけをとってもさまざまな選択肢があります。また、昔に比べて、自分のご飯茶碗があり、お味噌汁がありという家庭は減り、大皿料理をテーブルの真ん中に並べる家庭が増えているそうです。そうした、家庭の食の変化が子どもたちの反応に繋がっているのではないかということです。
ミヨコ:なるほど。一方、お母さんも忙しい。なかなか食育という視点を持って、日々の食事を用意するのは、簡単でないかもしれませんね。
清さん:そうですね。そういうことから、改めて注目を集めているのが給食なのです。実際『沖あがり』は地元の給食メニューに選ばれています。
学校給食は、クラスメイトみんなで食べます。また食べるだけなく、和食とは何か。その背景を学ぶのにも適しています。もちろん、学校では多様な文化を学ぶ必要もありますから、すべて和食にすればいいわけではないという意見もあります。ここは議論が必要なところですね。
しかし、少なくとも和食のユネスコ無形文化遺産登録により、こうした議論を活発に行うことができる土壌ができ、子どもたちが和食や和食文化に触れる機会ができたことはとてもいいことだと思っています。
食は、今回ご紹介したように、さまざまな地域文化と密接に関係したり、人と人を繋いだりしています。また、全国に知られていないその土地ならではの食がまだまだたくさん存在しています。今後は、新しい流れを受けて、こうした豊かな和食文化が若い世代にも自然な形で受け継がれてほしいなと感じています。
食文化研究家
食文化研究家
一般社団法人 和食文化国民会議 調査研究部会幹事。
大阪府出身。地域に伝承される郷土食や農山漁村の食生活の調査研究から、郷土食に関する執筆や講演などを行う。
近著は『和食手帖』(共著、思文閣出版)、 『ふるさとの食べもの(和食文化ブックレット8)』(共著、思文閣出版)、『食の地図(3版)』(帝国書院)など。