日本の朝ごはん
「31」の小皿に盛られた和を堪能する短歌膳
2016/08/05
日本の朝ごはん
2016/08/05
岐阜県と接する長野県の南端に位置する阿智村は、山間の小さな温泉郷(昼神温泉)です。天竜川に合流する阿知川沿いに沸き出る湯は、PH値が高く(アルカリ性)、美肌の湯として知られています。
そして、「星空日本一」の称号が阿智村の名を一躍全国区に押し上げました。2006年に環境省全国星空継続観測(星空がもっとも輝いて観える場所)で第1位に選ばれて、日本中から多くの人が阿智村に訪れるようになりました。
昼神温泉を代表する宿『石苔亭いしだ』には、もうひとつの名物がありました。短歌の31文字にあわせた31膳の朝ごはんです。
特製のお盆に乗った29の小皿料理とご飯、おみそ汁。噂には聞いてはいましたが、目の前にリアルに並ぶと壮観です。
写真最上段の左から
玉子焼き(「信州黄金鶏」の卵)、梅干し、トマト、もろきゅう、ホウレンソウのお浸し、グレープフルーツのゼリー、キウイ、オレンジ。
2段目左から
がんも、エビしんじょうをキャベツで包んだ茶巾、ニンジン、地元西来寺の湧水で仕込んだ揚げ豆腐、ダイコンの漬けもののシソ巻き、ナスの浅漬け、小カブの漬けもの、秋に漬けた野沢菜。
3段目左から
本鱒の西京焼き、ブランド豚の千代幻豚の角煮、コンニャク、海苔の佃煮、しじみの佃煮、じゃこの山椒煮、昆布の佃煮。
4段目左から
まぐろの山かけ、イカの塩辛、明太子、かまぼこ、安曇野産のワサビ漬け、クラゲ酢。そして、ご飯とお味噌汁。
書き連ねるだけでも、ひと仕事。調理する苦労は並大抵ではないでしょう。
「8年前、お客様に喜んでいただける驚きのある朝食にしたいという前社長の提案で始まりました。僕は、朝からそれだけの数を揃えることはできないって断固反対したんですが、前社長の言うとおり、やればできました(笑)」
そう語るのは、料理長の長田政利さん。通常の朝食は18品程度。品数約7割増の短歌膳は、地元産の肉や野菜をふんだんに使用しています。味付けは関西風で塩分も控えめ。
「下段は生もの、その上の段は焼き物でさらにその上は煮もの。そして、最上段はあっさり味のおかずやフルーツ。朝からお酒をたしなむ方は、下の列から順に食べると恰好のおつまみになります。苦労といえば、仕込みがたいへんなのは当たり前ですが、前日の夜食と一品も重ならないようにするなど、彩りも考えて並べています」
日頃は朝食を摂ってもせいぜい2~3品という身にとっては、テンションが非常に上がります。ひと皿食べてはご飯をいただき、食感も風味も異なる次の小皿へ。無限ループのようにしあわせな時間はつづきます。
「最近は星空を見に来られる若いカップルのお客さまも多いのですが、やがて結婚してお子さまを連れて再び訪れていただくことこそが、一番の理想です。そのためにも、魅力的な食事をご用意していかなくてはと思っています」
『石苔亭いしだ』は和の心を大切にしている宿です。旅人を迎えるのは堂々たる夷毘沙門、緑豊かな庭を横断する打ち水された石畳、館内には御簾を掲げた濡れ縁、坪庭、巨石など、和の情緒を感じるアイテムがたくさん。広々としたロビーには『紫宸殿(ししんでん)』という能舞台まであります。でも、どうして能舞台? 女将の逸見貴子さんは、創業者のお嬢さんです。
「創業(1984年)から数年を経て、改装のタイミングで能舞台をつくりました。そのとき考えたのは、やっぱり稼ぐだけの仕事ではなく、働く者もお客さまも心が豊かになるような仕事をしたいということでした。地域に貢献できて、宿にも箔がつくような『なにか』がほしくて、土地の歴史を調べたんです。すると、この地方には能の謡曲でうたわれている古いお話があることがわかったんです」
文化の発信地でありたいとつくった能舞台。『紫宸殿の宴』では毎晩、和太鼓、三味線、尺八、舞などの地元信州の伝統芸能の演者が公演を行っています。ちなみに、結崎・坂戸・外山(とび)・円満井と4つのお部屋タイプに分かれる、石苔亭の19の部屋の名前はすべて狂言の演目から取られています。
取材時に玄関先や館内に飾られていた短冊つきの赤い風鈴は、七夕にあわせたディスプレイ。「七草・桃・菖蒲・七夕・菊」と日本には5つの節句があって、そのたびになにか企画を催しているとのこと。5つも節句があるとは、初めて知りました。
阿智村には、観光の目玉がまだありました。 1年365日 、毎朝6時~8時頃(冬季は6時半〜)まで近隣の農家の人々が出店して開かれる朝市。トマト、ナス、キュウリ、パプリカ、トウモロコシ、自然薯などの獲れたての野菜。リンゴ、桃、ブルーベリーなどの果物や山ウドや野沢菜などの漬けもの、お米、こんにゃく、蕎麦、高野豆腐、ようかんやジュースまで。店番をする農家の方々とおしゃべりしながらのショッピングは、早起きは三文の得以上の価値がありました。