今日がうれしくなる器
ガラスの器を 涼やかに、自由に
2016/09/08
ガラスの器を 涼やかに、自由に
今日がうれしくなる器
2016/09/08
日本には全国に個性豊かな器が存在し、さまざまな文化やつくり手の思いを伝えています。またこうした品々の存在は、日々を豊かにしてくれます。
今回は、ギャラリー「夏椿」の店主、恵藤文さんにご協力いただき、作家のおおやぶみよさんと、料理人の小島圭史さんにお話を伺いました。
蝉の鳴き声が響くなか、強い太陽の光を避けるように日陰を歩き、たどりついたギャラリー「夏椿」の戸をガラリと開けると、ガラスの作品が涼やかに並んでいた。「暑い日本の夏、少しでも涼を感じるものをと、この季節はガラスの企画展を開くことが多いですね」と、「夏椿」の恵藤さん。今回は、沖縄県読谷村で工房を構えるガラス作家おおやぶみよさんの器を用い、同じく沖縄に居を構え、出張料理人として全国で活躍する小島圭史さんの料理を供する食事会があるということで伺った。お二人のコラボレーションによって新しく生まれた器もあるという。
「ガラスの器というと、お蕎麦やサラダなど、決められた料理だけに使うという人もいるかもしれません。でも“◯◯のための器”と決めつけてしまわずに、好きな器があれば、少し自由に使ってみると、思わぬ発見があります。特に暑い季節には上手に取り入れていただきたい素材です。今回のコラボレーションは、ガラスの器を本当に自由に楽しんでいるなぁと感じています」と恵藤さんは語る。
料理人にとって器とはどのような存在だろうか。
まず「名前のない料理店」小島圭史さんにお話をうかがった。
「食の場には、料理だけでなく、いろいろな要素があります。場所、しつらえ、器、音楽、そこに集まる人々。それらすべてが食の場をつくる大切な役割をもっています。なかでも器はお客さまが直接手に取り、口に触れるものですから、場をつくるうえでとても重要なものですね」
今回は、ガラスの器とのコラボレーション。ガラスの器というと夏らしい冷製の料理との組み合わせを想像しやすいが小島さんはそればかりではないと言う。
「ひとくちにガラスの器といっても、器ごとに個性はいろいろです。形、色使い、気泡の入り方などで表情が異なります。ですからそれぞれの器にあった使い方をしたいなと思っています。今回料理会で用いるおおやぶさんのガラスのプレートは厚みがあり、光の入り方が美しく、冷たいイメージがありません。温かいお肉料理をのせても違和感がなく、ソースが映えて美しい一皿になっています。透明で、薄く、繊細な印象のガラスのプレートなら、こういう使い方はしないでしょうね」
たしかに、目の前の料理はガラスのプレートとしっくりと相性がいい。陶器や磁器の器に産地や作家ごとの色があるように、ガラスの器にも異なる魅力があり、それぞれ魅力に応じた使い方があるということにあらためて気付かされる。
「なかでもおおやぶさんの器は、素材の個性や特性をそのまま活かした料理と相性がいいですね。たとえば果物を大胆に切って果汁をソースとして食べるようなものとか、ざっくりと盛りつけたお肉料理とか、素材感がほとばしるものと合う。形よく切りそろえた野菜を並べてもおもしろくないと思うんです」
今回のコラボレーションも、おおやぶさんの器と、小島さんの料理の良さを互いに引き出し合う形で生まれたという。
「大きなプレートの上に、蓋のような形状の器を組み合わそうというのは、おおやぶさんのアイデア。そこで、私は、プレートには温かいお肉料理、蓋の上にはソースをかけて食べていただく魚料理を盛り付けることにしました。魚料理を召し上がりつつ、見えそうで見えない次のお料理を楽しみにする。おもしろい一品になっていると思います」
「器には個性があります。作家さんがつくる作品はなおさらです。ですから料理ですべてが隠れてしまわないように気を配りながら、でも器だけの印象にならないよう、器の個性を半分活かすような心持ちで盛りつけています」
盛り付けの際に、自分はその器のどこが好きかを考えること。そして「好きな形、色使いを消さないよう、あるいは活かすくらいの気持ちで盛りつけると、料理と器について考えるのが楽しくなるかもしれないですね」と、小島さんは話してくれた。
▲沖縄の夜空をイメージし「星月夜鉢」と名付けられた器に盛られた冷たいデザート。器の半分に入った気泡が涼しげで美しい。
小島さんのお話を伺い、おおやぶみよさんはどのように作品をつくっているのか、さらに興味が増すことに。おおやぶさんにお話を伺った。
まず、ガラスとの出会いを聞いてみると、意外な答えが返ってきた。
「実は、学生時代はファッションの勉強をしていました。素材から何かを生み出すのが好きだったんでしょうね。ファッションの世界を楽しんでいました。でもいざ就職というタイミングになって、このまま流行を追い続けるファッションの業界に進んでいいのだろうかと思い、はたと立ち止まってしまったんです。将来を模索し、アルバイトなどをしながら過ごすなかで、あるときガラスに出あいました。そして、光を通すというガラスの素材としての魅力に惹かれ、石川県能登島にある学校で1年間学ぶことに。その後、大阪のガラス製作会社を経て、沖縄へ。沖縄の工房で働き、その後独立することになりました」
沖縄でガラスと聞くと、一般に伝統的な琉球ガラスなどを思い浮かべる。しかし、おおやぶさんのガラスは、沖縄での経験だけではなく、これまで歩んできた道のりすべてが表れている。
「京都の割烹料理屋の娘として生まれ育ったので、幼いときから料理や器に囲まれて育ちました。両親が料理をする様子、盛り付けをする姿を見てきたことは、器づくりに大きく影響しています。ファッションの勉強をしたことにも大きな意味がありました。たとえば白といっても無数の白があり、自分の思い描く白を追い求め、作品に仕上げていくやり方は、ファッションから学んだものです。また、その後の能登島での生活や、大阪での経験なしには、今の作品はありません。そういう意味で、作品にはそれらを経た今の私が表れていると思います」
暮らしの変化などでも、作品は変わっていくと、おおやぶさん。
「最近引っ越しをし、家具にアンティークのものなどを選んでいるため、自ずと自分がつくるものも、ぴかぴかとした印象のものよりも空間にすっと馴染む色味や質感を求めるようになりました」
大切なのは、自分が使いたいと感じるものをつくることだという。
「どのくらいの大きさだと料理が映えるかとか、丸いお皿ばかりでなくオーバル型があると食卓で使いやすいなとか、ピッチャーには取手がないほうが収納しやすいとか、スタックしやすい形でないとスペースを取りすぎてしまうなど、暮らしのなかで気が付くことがたくさんあります。シンプルで、収納しやすく、食卓に馴染むものを自分でも使いながら考えています」
また、器をつくる際には“余白”を持たせるよう意識しているとか。
「料理が盛られて、ようやく器が100%完成するよう心がけています。私のつくった器に、ワインやジュースが注がれる、さまざまな食材が盛られるということを常に考えていないと、器だけで完成されたものにしてしまいたくなるんです。もう少し何か足したくなったり、色を加えたくなったり、ついプラスすることを考えてしまう。でも悩んだら、そこはあえて引く。そうすることで食卓に並んだ時に美しい器になるのかなと考えています」
今回、小島さんとのコラボレーションのために製作した器についてうかがった。
「まず最初に浮かんだのは、料理を提供する空間のことでした。ギャラリーは、レストランとは違います。限られたスペースでサーブすることを考えた時、あまり大きなプレートはそぐいません。でも、お客さまにはいろいろな料理を楽しんでいただきたい。そんな風に考えた時、お皿とそれにかぶせる蓋のような形状の器にも料理を盛り付けることを考えつきました。白いオパールのような色味のある素材にしたことで、下のプレートに何が入っているのか見えそうで見えない、わくわくする感じに仕上がりました。どんな料理を盛りつけるのかは小島さんにお任せしていましたが、結果的にガラスの透け感の醍醐味を味わえる、器と料理のコラボレーションができたかなと考えています」
最後に、おおやぶさんにガラスの器のよさについて伺いました。
「ガラスの器のよさのひとつは、陶器や木と異なり、カビが生えたり、におい移りをしないということ。片口の器なら、日本酒の酒器にしたり、ドレッシングソースを入れたり、花瓶として花を活けたり、ひとつの器をさまざまに使うことができます。器の美しさを利用して、自由に楽しんでいただけたらと思っています」
「器はつくった作家さんの個性をそのまま映し出していることがあります。おおやぶさんのガラスの作品は、女性らしさと力強さが共存し、どこかおおらかな印象を与えます。豪快さと繊細さ、そしてお母さんらしい包容力を備えたおおやぶさんの人柄が表れたような器ですね。ガラスの器といっても印象はさまざまですから、固定観念にしばられず、洋服の組み合わせを考えるような感覚で器を楽しんでみてはいかがでしょうか。季節やその日の気分に応じて、このガラスの器ならどんな料理が合いそうだろうと、さまざまな使い方を試していただけたらと思います」(恵藤さん)
おおやぶ みよ さん
ガラス作家。京都生まれ。服飾学校卒業後、石川県能登島でガラスを学んだあと、大阪のガラス会社へ。その後、沖縄に移り、2003年 沖縄県読谷村にて工房を構える。以来、国内外にて企画展や個展を開催。http://www.hizuki.org/index.html
小島 圭史 さん
料理人。宮城県生まれ。東京・パリ・マルセイユで修行。その後、沖縄に移住し、県内のホテルやレストランに勤務。2009年「名前のない料理店」開業。