日本の発酵食 -食卓を飾る“菌未来”-
第八回:徳山鮓
2017/03/15
第八回:徳山鮓
日本の発酵食 -食卓を飾る“菌未来”-
2017/03/15
味噌、しょうゆ、酢、みりん、納豆など、日本の食卓を支えてきた発酵食。その土地に棲む微生物の働きによって食材のうま味を引き出したり、カラダにもよい作用をもたらす発酵食は、先人たちが生み出した日本の偉大な知恵の結晶です。
発酵食を現代から次世代につなげる人やお店、レシピを紹介するシリーズ。第八回は、滋賀県にある余呉湖(よごこ)のほとりに構える発酵食の名店『徳山鮓』にうかがいました。
日本一大きな琵琶湖の北に位置する余呉湖は、周囲6キロほどの小さな湖です。小さいといってもここは天然素材の宝庫。郷土の名物料理の熟れ鮓(なれずし)の主役ニゴロブナや、天然ウナギ、アユ、ビワマスなどが獲れるほか、湖を臨む里山ではイノシシやクマ、シカ、カモなどの野生の鳥獣、そしてバリエーションに富んだ山菜とキノコ類が収穫できます。
『徳山鮓』のご主人、徳山浩明さんはその道のオピニオンリーダーを追う人気ドキュメンタリー番組『情熱大陸』でも取り上げられた発酵料理界の第一人者。発酵した魚を調理する「鮓」の字を店名にいだき、発酵食の魅力を追求しつづけています。
「余呉湖の国民宿舎で料理長をやっていたときに、当時の財団法人日本発酵機構余呉研究所の所長を務めていた小泉武夫さんと運命的な出会いを果たしたんです。発酵学者としては日本で一番有名な小泉先生から『昔から近江の地に伝わる熟れ鮓を出す店が少ない。あなたがやりなさい』と諭されて、よし、やってみようと。子どもの時分から親が熟れ鮓を作っていたので、なんとなくはわかっていましたが、一から勉強をし直しました。滋賀県中をまわって、いろいろな熟れ鮓を食べ歩きました。琵琶湖の東西南北の各地域で、それぞれ作り方が違うことも知りました。でも、熟れ鮓に関してひとつの共通した思い込みがありますよね。好きな人は好きだけど、嫌いな人はまったく受けつけない。『熟れ鮓はにおいが臭く、クセが強くてたまらない』と。自分はそのイメージをなんとか打ち消せないものかとずっと研究を重ねています」
試行錯誤の末に辿りついた徳山さんのフナの熟れ鮓(下段写真の左上)。臭くない! 臭くないどころか、やわらかな身が口のなかで溶けるようにほぐれるとフルーツのような新鮮な酸味が口いっぱいに広がり、発酵した卵の滋味とはちみつソースの甘さがあとから追いかけてくる。初めて味わう衝撃に、どう調理したらこうなるんですかと問うと「それは秘密です」。春先に獲れる二ゴロブナ。卵を抱えたメスだけを捌くが、このときの処理方法にオリジナルな工夫があるそうです。
「小学生の理科の実験みたいに、フナを解剖して部位をまな板に並べながら考えましたよ。どこを取ってどこを残したらおいしくなるんだろうって。特別な調理器具も職人さんにつくってもらいました」
梅雨明けまで塩蔵された二ゴロブナは、天日干ししたあと、炊いたご飯をお腹に詰めて樽のなかで数カ月間過ごします。そのまま夏を越え、秋を越え、どんな味に仕上がるかは、年明けに樽を開けるときまでわからないとも。発酵の進み具合は、自然任せ。人間がコントロールすることはできません。
毎年一回、熟れ鮓を仕込むときは、今でも全量の3分の1~4分の1は塩加減や米の炊き具合などを調整して実験的につくるといいます。その熱心な姿は料理人というよりも化学者といった趣です。
鯖の熟れ鮓(上段写真の右下)も苦心の作。浅めに発酵させた鯖と合わせるのは、岡山県の吉備高原で伸び伸びと育った乳牛の乳からつくる吉田牧場のミルク風味豊かなカチョカバロチーズで、これは全国の料理人が欲する入手困難な一品です。西洋を代表する発酵食のチーズとのマッチアップは絶妙。ワンポイントの味付けとしてトマトピューレが添えられていますが、この組み合わせに至るまで3年の月日がかかったといいます。
琵琶湖だけに生息するビワマスの熟れ鮓(下段写真の右上)は、鮮やかな朱色がオレンジの果肉と一体化してそのまま口のなかに広がります。自家製カラスミは塩分控えめで、その分、カラスミのうま味がいっそう引き立ちます。なんてぜいたくな発酵食たちでしょう。
『徳山鮓』のもうひとつの名物がジビエ料理。こちらの料理も「臭くてかたい」というジビエのイメージを払しょくしています。
大皿に載った徳山さんの今日のジビエ料理(写真上段の右上)。中央には塩蔵と薫製の工程を経たイノシシのハム。食べ慣れている豚のハムとは違い確かな食感があって、臭みはなく、マイルドであっさりした味わいでした。イノシシの煮こごり(大皿の右上)は絶品。ゼリー状になったイノシシの脂がぷるんぷるんでとろける甘さです。イノシシの生ハム(大皿の左上)は、よりワイルドな味だけど舌触りはやわらか。聞けば、イノシシの部位によって、その特性を生かした調理を施しているとのこと。濃密なクマのサラミ(大皿の上)と、口当たりがやさしくて甘味を感じるクマとイノシシとシカのテリーヌ。
そして、大皿に描かれるように盛られた3種のソースが秀逸でした。黄色いラインは、香ばしいえごまのソース。白いものは、フナの熟れ鮓づくりで仕込んだ米がクリーム状に発酵したいい(飯)とコウダケの酸味が効いたソース。3つめは、酒粕と菊芋のほんのり甘いソース。発酵を生かした個性的なソースたちがジビエにからむと、野生の味が立体的に浮かび上がるような、そんな相乗効果が現れます。
「近頃、ジビエはちょっとしたブームになっていて、乱獲が心配です。二ゴロブナやほかの地魚にしても同様ですが、先々のことを考えながら獲らないと。人間の欲望のために生態系を乱してはいけませんからね。もうひとつ、心配というか、いつも気にしているのは『どうしたらもっとおいしく食べられるか』ということ。やればやるほど、知れば知るほど、発酵の世界の奥深さを感じます。まだまだ完璧な調理方法は見つかっていません」
大人気のフナの熟れ鮓に関しても、新しい調理法を開発中とのこと。近い将来、わたしたちを驚かせてくれることでしょう。また、4月からは、『徳山鮓』の目玉、山菜の料理が始まります。季節ごと、もっと細かく、その日に採れるものによってメニューが替わるという地元に根差した料理店。次に訪れる日が楽しみです。