食の知恵に導かれ、伊豆大島へ
Vol.2 くさやの一滴は血の一滴。
代々受け継ぐ、くさや液の秘密
2018/11/08
Vol.2 くさやの一滴は血の一滴。代々受け継ぐ、くさや液の秘密
食の知恵に導かれ、伊豆大島へ
2018/11/08
伊豆大島では、くさやの人気は健在。地元スーパーでは干物と一緒に並び、定食屋、居酒屋でも当たり前に食べられています。個性豊かな香りと旨味はいったいどうやって生まれているのか、連載第2回目はその秘密を探ります。
くさやとは、伊豆諸島に伝わる干物の一種で、くさや液に浸けてから干すのが特徴―。さらに、くさやの語源を調べてみると、「臭」に感嘆詞の「や」がついて「くさや」となったという説もありました。「あぁ、臭い」そんな感情が込められた名前だと思うと、愛着を感じずにはいられません。
江戸時代では、たいそう人気の珍味だったという、くさや。落語にも度々登場し、今でも落語家さんたちには根強い人気があります。故・立川談志師匠は「飛行機の中でくさや片手に一杯やっていた」という強者エピソードもあるほどです。ひと癖、ふた癖あるけれど、一度知ると忘れられない―。くさやには、そんな不思議な魅力があるのです。
伊豆大島波浮港にある『まるい水産』を訪れたのは朝7時半ごろ。すでに作業は始まっており、これから前日に漬けたムロアジを引き上げ、水洗いして干すのだと言います。作業の様子を見学させていただいているうちに、なんとなく想像と違う…。そんな感覚を抱きました。
正直、魚を扱うとなれば、しぶきを飛ばしながらバンバン作業をするものだと思っていたのですが、実際はとても静かで、動きが丁寧だったのです。
思わず「慎重に作業をするんですね~?」と、軽く声をかけると、くさや職人歴8年、穏やかな印象の根元さんの表情がキリッと引き締まり、「くさや液をこぼさないようにしているんです」とひと言。
くさや液の中から網を使って魚を取り出す際は、タンクの上に置いた竹ざるの中に入れることで、したたり落ちるくさや液は再びタンクに戻っていく。その後、魚が入ったざるを樽の上に移動させ、再びポトポトと落ちるくさや液を1滴ずつ樽の中に集めていく…。わずかでも、くさや液を床に流すことはなく、静かに集中した作業が続きます。
『まるい水産』は伊豆大島でくさやを作り続けて約300年の老舗。案内してくれた4代目の奥山健一さんは、くさや一筋38年。魚の目利きから、門外不出の塩加減、温度管理をたたき込まれたといいます。
「伊豆大島では、かつて塩も水もとても貴重だったんだよ。だから、干物を作るときも簡単に塩水を捨てることができなかった。一度魚を漬けるのに使った塩水に、塩を足しつつ漬け込みを繰り返すうちに、発酵してくさや液ができたんだ」
四方を海に囲まれた大島でも、雨が多い日本において塩づくりはとても難しいものでした。
▶︎前回の記事はこちら
Vol.1 『OHSHIMA OCEAN SALT』優しい海の味がする、手づくりの塩
加えて農作物に恵まれず、米が育たない伊豆大島は、塩で年貢を納めなくてはならなかった時代もあり、島内で自由に使える塩はごくわずか…。こうした風土と歴史を背景に生まれたのが、くさやでした。
「“くさやの一滴は血の一滴”昔からそう言われてるんだ」
奥山さんの言葉の重みは、作業の端々に表れています。漬けた魚からしたたる1滴すら無駄にしない。漬けた魚を水洗いする際も、くさや液がたくさん溶け込んだ最初の洗い水は捨てずに再び使う。少しでも雑に扱えば怒鳴り声が飛ぶこともあるほど…。くさや液がどれほど大事なものか、その場にいるだけで、ひしひしと伝わってきます。
その昔、伊豆諸島では、くさや液は嫁入り道具のひとつでもあったそうです。ぬか漬けの味が、その家の嫁の腕で決まると言われたように、くさやの味は嫁の腕次第だったのです。きっとそこにはそれぞれの家庭の、食の誇りが詰まっていたのでしょう。
『まるい水産』では、くさや液の調整が許されているのは4代目の奥山さんだけ。生きて呼吸をしているくさや液は、品質を安定させるため普段は地下のタンクに保管されており、魚が入荷すると、ポンプで汲み上げ、季節や漬ける魚に合わせて温度、塩分濃度が調整されます。もちろん、くさや液に使う塩は、まろやかな味わいの伊豆大島産の自然塩。奥山さん独自の方法で塩分濃度を調整します(これは門外不出!)。
「くさや液は生きているからね。作業がない日も毎日かき混ぜて手入れをしなくちゃいけない。それに、今日使ったくさや液は、疲れているから休ませる。これも大事なこと。とにかく、くさや液は繊細だから。手を抜くと匂いですぐわかるし、手をかけて世話をすれば必ず美味しくなる」と、奥山さん。弟子の根本さん曰く「くさや液の混ぜ方が甘かったときは、後で怒られる」のだそう。
誤解されていることが多いようですが、くさや液は、魚の内臓、塩、水を発酵させて作るものではありません。水、塩、漬けた魚の成分が溶けて混ざり、何十年、何百年という年月をかけて発酵し、旨味を作り出しているのです。その中には、代々生き続ける発酵菌がたくさん潜んでいます。
奥山さんによると「昔はくさや液は薬代わりとしても使われ、お猪口一杯飲んで胃腸薬、傷口に塗って消毒液にもしていた」といいます。でも、干物にするぐらいだから塩辛いはずだし、傷口に塗ったりなんかしたら、染みて痛くて飛び上がりそう…。ちょっとビクビクしながら、「舐めてみても、大丈夫ですか?」と聞くと、「もちろん、いいよ!」とのこと。
桶の中のくさや液を、少しいただいて口に入れてみたところ…、あれ?しょっぱくない。匂いも穏やかで、驚くほどまろやかな旨味が広がります。
この塩分濃度で腐らないのはなぜだろう…。薬にもなるってどういうこと?気になって調べてみると、このくさや液には強烈な天然抗生物質がたくさん含まれていることが判明。東京水産大学での研究をはじめとする数々の研究によって、くさや液の中にいる通称“くさや菌”などの微生物が、自らの身を守るために抗生物質を作り出し、腐敗菌を退治していることが実証されています。もちろん、菌が作り出す天然抗生物質は、体内に取り入れても人体にも安全で、分解されてしまうので耐性が生まれることはないそうです。
くさや液は薬と言われるのは、ただの言い伝えでも迷信でもありません。離島で医療体制が充分ではない時代があったからこそ、先人たちはくさや液の力を経験的に知り、頼りにしていたのでしょう。
くさや作りの見学も終盤に近づくころ、奥山さん夫妻に声を掛けられました。
「そういえば、匂いは大丈夫? ほら、初めて見学するって言ってたから」
そう言われて深呼吸してみるけれど、「あれ、慣れちゃったかな、全然臭くない…」そう答えると、奥山さんが面白い話をしてくれました。
「アメリカンスクールの子どもたちが見学に来たとき、多くの子どもは臭いと言わなかった。くさやはチーズの匂いと似ているって言ったんだよ」。
くさやもチーズも同じ発酵食品の仲間です。子どもたちは、先入観なしにチーズとくさやの共通点を見抜いたのでしょう。イタリア料理でお馴染みの発酵保存食、アンチョビがチーズに合うように、くさやとチーズも相性抜群! 少しつまんではお酒をちびちび。これで無限ループ間違いなしです。
江戸っ子はくさやを「江戸の華」と呼んだというのも、この匂いがあってこそなのかもしれません。感性豊かな江戸っ子は、くさやを焼く華やかで芳しい匂いに、ズキュンとやられていたのでしょう。
つい、目が欲しがるもの、頭で考えたものに流されがちな今の私たち。伊豆大島で出会ったくさやは、本能的にカラダにいいもの、美味しいものを、今一度教えてくれる気がします。くさや液は、大島の風土と歴史、食の知恵によって大事に育てられ、守り続けられた宝物。これからも、ずっと、受け継がれてほしい。そう願わずにはいられません。
*ホームページに記載のメールより、通販可能。店頭販売も受付(要問い合わせ)
●伊豆大島へのアクセス
東京竹芝桟橋から高速ジェット船で1時間45分~、または夜行大型客船で6時間~。
その他、神奈川県久里浜港、横浜港、静岡県熱海港、伊東港等からの船便もあり。
東海汽船 TEL:03-5472-9999 または 0570-005710
URL:https://www.tokaikisen.co.jp/