発酵を訪ねる
秋田の新旧発酵文化を巡る旅 Vol.1
失われかけた文化を再生!
しょっつる復活の立役者・諸井醸造の挑戦
2018/11/29
発酵を訪ねる
2018/11/29
古くから多様な発酵食文化が根付いている秋田。雪深い北国ということもあり、食品保存の意味で醤油や味噌、しょっつる、漬け物、納豆、日本酒など、数多くの発酵食品が生産されてきました。こういった伝統的な物を守っていこうとしている人たちがいる一方で、その伝統を守るだけでなく、現代にフィットするように発展させていこうとする動きも出てきているようです。
ここでは、そんな秋田の発酵の今を切り取り、次世代につないでいこうと奮闘する人たちの姿を3回にわたってお届けします。
まずは、秋田を代表する伝統的な発酵調味料で、香川の「いかなご醤油」、能登の「いしる」と並んで「日本三大魚醤」のひとつである「しょっつる(塩魚汁)」をフィーチャー。男鹿市船川で醤油・味噌・しょっつるづくりなどを行う創業88年の老舗・諸井醸造所を訪ね、秋田の魚・ハタハタと塩だけで作られた「秋田のしょっつる」を今に伝える、3代目当主の諸井秀樹さんが展開した挑戦についてお話を伺いました。
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魚介類を天日塩とともに仕込み樽に入れ、撹拌させながら長期熟成させて醸造するというのが、しょっつるの基本的な作り方。起源は江戸時代初期にさかのぼるといわれており、かつては秋田の一般家庭、漁師を生業とする家庭においては当たり前のように自宅で作られ、食卓に並んでいたそうです。
「秋田にはしょっつる鍋という伝統的な郷土料理があり、そもそもしょっつるは、その鍋の素として使われる、調味料という位置付けでした。ただ、原料となるハタハタの漁獲量が少なくなったり、日本人の食文化が変化したりという背景があって、時代とともに忘れ去られる存在となってしまったんです。伝統的な調味料ではあるけれど、基本調味料ではないですからね。昭和40年代から家庭でもあまりしょっつるが使われなくなり、弊社が作り始めたころには、すでに消えつつある存在の物だったんです」
過去の物となり始めていた秋田のしょっつる文化。1970年代以降、ハタハタの漁獲量は激減し、1990年代には絶滅の危機に瀕してしまったそうです。食卓から姿を消し生産者も少なくなっていた中、それまで味噌や醤油づくりをおもに行っていた諸井さんでしたが、一念発起してしょっつるづくりに取り掛かります。
「昭和40年代には秋田県内に25軒ほどあったしょっつる業者が、平成に入ってから4〜5軒にまで減ってしまいました。大量生産・大量消費が当たり前な時代に、しょっつるは合わなかったんでしょう。このままではしょっつる文化が完全になくなってしまうと思い、手探りの状態でしょっつるづくりを始めました」
1992年、絶滅の危機に瀕したハタハタを救うため、漁師たちは自主的にハタハタの禁漁を開始。その甲斐あって、3年かけてハタハタが再び海に戻ってきました。
「私がしょっつるづくりを始めたのは、ちょうどハタハタを全面禁漁としていたころ。つまり、魚がいなくなった状態からスタートしたんです。元々、うちは味噌や醤油づくりが本業ですから、作り方はもちろん、何をもってして本物のしょっつると呼べるのかすらわかりませんでした。当時、ハタハタで作ったしょっつるは、秋田県内にはありませんでしたから。とにかく、試行錯誤してハタハタ以外の魚で作ってみたり、発酵の方法を変えてみたりと、さまざまなチャレンジをしましたね。
醤油に使う麹を加えてみたこともありましたが、そうすると真っ黒になって魚の香りが減るので、魚醤ではなく『魚醤油』になってしまうんですよね。それじゃあ、本当のしょっつるとはいえない。シンプルに時間をかけて作った琥珀色の物こそが本物だと気付き、ハタハタで作った王道のしょっつるを、まずは世の中に出したいと思うようになりました」
その後、1998年にしょっつるの研究会を立ち上げて本格的な開発に取り組んだ諸井さん。そのころ、さまざまなきっかけによって、魚醤が徐々に世間から注目されるようになります。
「きっかけのひとつは、アジアンブーム。ベトナムのナンプラーやタイのニョクマムが注目されたことにより、魚醤の存在が知られるようになりました。次に、狂牛病の影響で調味料に牛骨粉が使用できなくなり、動物性の材料を使った魚醤が新しい調味料として見直され始めたんです。そして、魚介類の残渣を利用した水産加工業者が増え、捨てる物を商品化するというエコな動きが注目されたことも一因。そういった背景があって段々と歯車が噛み合い、小規模なものではありますが、日本の魚醤が復活する兆しが見えてきたんです」
努力の末、10年の歳月をかけてようやく商品化された諸井醸造のしょっつる。しかし、作って売るだけでは終わりません。しょっつるを広めて生産者を増やしつつ、一家に1本を目指すことが諸井さんの目標。商品を手に、秋田から全国へ情報発信しています。
「『塩魚汁』と書いて『しょっつる』と読むのですが、商品化にあたってすべてひらがなにしました。理由は読みやすいから。ありがたいことに、今ではかな表記のほうが広まって認知されていますよね。あとは、さまざまな商品開発を行い、イワシとハタハタと昆布をブレンドした魚醤『魚ミー(トトミー)』や、10年熟成させた『十年熟仙』など、商品のラインナップも拡充しています。あとは、しょっつる味のスナック菓子など、いろいろな業者とコラボ商品を出したり、B-1グランプリで『男鹿しょっつる焼きそば』を出したり、仕掛けづくりに取り組みました。食のジャーナリストの方々を呼んで、しょっつるづくりを見学・体験してもらったこともあります。物を売るよりも知ってもらうほうが大切ですから」
しょっつるを世に広めるべく、積極的に新しいことにチャレンジする諸井さんですが、そのモチベーションの土台を作ったのは、意外にもイタリアを発祥とする「スローフード」という概念だったそうです。
「知人を介して『スローフード』というものにふれ、意識が変わったというのがそもそものきっかけ。昔の人が食べてきた伝統的な食を見直して復元する、それが自分のものづくりの根底にある気がしたんです。そして『地産地消』という、地域と関わりを持ち、地域の資源を使うということの大切さも学びました。ハタハタという資源が少なくなったからといって、本来のしょっつるを作る人がいなくなってはいけないと感じたんです。食と産業と観光、それに食育というのがキーワード。漁師がいて、私たちのような業者がいて、料理人がいて、そこに集う人たちがいる。そんな形で、しょっつるの文化がつながっていけばいいなと思います」
しょっつるの文化を広めるにあたって、家庭でどのような料理に活用できるのかも積極的に発信している諸井さん。最後に、おすすめのしょっつる活用術を伺いました。
「焼き物、炒め物、煮物…基本的に何でもOKなんですよね。しょっつる鍋はもちろん、パスタや炒飯、焼きそば、スープ、カレーのほか、おひたしなどの風味付けとして使えます。また、手水の代わりにしょっつるを手のひらにつけて握ったおにぎりもおいしいですよ。ただし、しょっつるの塩分は20%と塩辛いので、くれぐれも入れすぎないように気を付けてくださいね」
諸井醸造では、しょっつるを使ったレシピを公募する「しょっつる料理コンテスト」を開催したことも。醤油感覚で使えるため、活用法は実にさまざまであることがわかります。
秋田県内でも、どの家にも必ずある調味料ではなくなってしまったというしょっつるですが、それでも昔ながらの原料で作るしょっつるにこだわり、日本全国、ひいては世界にその存在を広めようとさまざまな施策を展開している諸井さん。今や「秋田といえばしょっつる」というほど、お土産屋さんでもしょっつる関連の商品が数多く販売されるようになっています。秋田県内にとどまらず、調味料の定番になる日が来ることを祈って…。
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