食の知恵に導かれ、伊豆大島へ
Vol.3 ルールはひとつ。ゆる~く、ピリリ。べっこう寿司
2018/12/20
Vol.3 ルールはひとつ。ゆる~く、ピリリ。べっこう寿司
食の知恵に導かれ、伊豆大島へ
2018/12/20
飴色に染まった刺身がシャリの上でツヤツヤ。それはもう、食いしん坊ならずとも、そそられる姿です。伊豆大島で出会ったその料理の名前は「べっこう寿司」。連載第3回目は、伊豆大島に根づく、郷土料理「べっこう寿司」の魅力に迫ります。
「伊豆大島に来たなら、べっこう寿司でしょ!」
初めて伊豆大島を訪れたとき、べっこう寿司を食べたのは寿司店でのこと。寿司下駄に美しく並べられたべっこう寿司は、とても華やかでごちそう感が漂います。艶めく握りを口に入れれば、醤油の風味とともに青唐辛子の香りがふわり、軽快な辛味がピリリ。「お酒飲みたいね~」なんて言いながら、大事にいただきました。あまりにも美味しくて、お土産の「青唐辛子醤油」を購入。家でも伊豆大島気分に浸りつつ、ふと思いました。「べっこう寿司って、お寿司屋さんで食べるもの? 家庭ではどうなの?」
リサーチを開始するや、どこで聞いても「べっこう寿司、家でよく作るよ~」「うちはね、青唐辛子と醤油と…」と、味付け込みの答えが返ってきます。ますます、興味が膨らみます。
最初にべっこう寿司を作ってくれたのは、釣り船『秀作丸』と併設する民宿『八幡荘』を切り盛りする女将の望月操さん。釣り客の案内から、宿泊客の世話、料理まで、目が回るような忙しさを、チャキチャキこなしていると評判の女将さんです。
「お腹空いてるでしょ? ほら、もうできてるよ~!」到着するや、目の前にべっこう丼が登場。
「普段は握りよりべっこう丼のほうがよく作るね。島海苔を敷いてその上に漬けた刺身をのせて、うちではサバそぼろを乗せるのが定番だよ~」聞けば、なんと、サバそぼろは手作りだと言います。
「ほら、サバはたくさん釣れるから。頭と内臓を出して、丸ごと茹でて洗って骨を取って、身をほぐして味付けしながら水分を飛ばしていくんだよ。ちょこっと食紅を入れて、きれいな色のほうが美味しそうでしょ」
さすが、釣り船宿のお母さん。魚料理への愛情の深さが伝わってきます。いただいてみると、ほんのり甘くて癒される味。近海で採れるという島海苔の風味、サバそぼろの甘味が、まろやかなピリ辛醤油味にアクセントを添え、口に入れるたびに味わいが変化。次、また次!と箸が進みます。
作り方を教わると、たれは醤油、だし、酒。そこに、青唐辛子を刻んで加えて刺身を絡めたら、島海苔を散らした寿司飯の上に乗せて、常備しているサバそぼろ、わさびを添えたら完成。一度聞けば覚えられるほど、シンプルです。
「作り方は、誰かに教わったわけでもないんだよね。お祖母さんが作っているのを見て、食べて、自然と作るようになったね。お祖母さんのべっこう丼は2段だったんだよ! 寿司飯の間に、島海苔とイサキやキンメの刺身が挟まってて、魚がよく釣れた日は豪華だったよ~」
遠く青森から嫁いできたという操さん。食文化も料理の味付けも違うから、戸惑ったのでは? と思いきや、「もともと魚が大好きだったから、全然! くさやも美味しくて、すぐに大好きになったよ~」と笑います。「毎年1月15日に、隣の八幡神社の祭りがあって。その時は、丼じゃなくてべっこう寿司をたくさん握るよ。お祖母さんのころから代々受け継いでるんだよ」
ツヤツヤのべっこう寿司を囲んで、お酒を飲んでおしゃべりをして…。賑わう祭りの様子が思い浮かびます。丼の気楽さとは少し違う、気持ちが少し引き締まる感じ。べっこう寿司が持つ、おおらかさと華やかさは、ハレとケのどちらの食卓にも登場するがゆえなのでしょう。
続いて、べっこう寿司を作ってくれたのは、伊豆大島の船着き場、岡田港前『浜のかあちゃんめし』で働く、川西あきよさん、沖山愛子さんの仲良しコンビです。
「べっこう寿司には、やっぱり青唐だね。赤いのと食べ比べてみる?」見せてくれたのは、関東近郊のスーパーで見かける細長い青唐辛子とは違う、2~3cmほどの可愛い唐辛子。沖縄などで栽培されている島唐辛子と同じ種類のもので、伊豆大島では、熟す前の青いものを〝青唐〟(アオトウ)と呼ぶそうです。差し出された赤と緑の島唐辛子をちょこっとかじってみると、どちらも辛い! でも、はっきりとわかるのは香りの違い。青唐辛子のほう口に残る香りがスッキリと心地よく感じます。
あきよさん、愛子さんはともに「青唐がなくちゃ始まらないよ~」と口を揃えます。たしか、青唐辛子が出回るのは夏から秋。旬の時期に獲れたものを醤油だれに漬けて、いつでも使えるように仕込んでおくのかと思いきや…。
「青唐は調味料に漬けておくと香りが飛んじゃうから、食べるときに刻んですぐ使うんだよ~。ほら、こうやって冷凍してあるの。冷凍すれば香りが飛ばないし、いつでも使えるから」
伊豆大島では、多くの家庭の冷凍室にいつも青唐がスタンバイ。あとは刺身があれば、いつでもピリ辛、いい香りのべっこう寿司を楽しめるというわけです。
「パパッと作るのが美味しいの! 甘味を加える人もいるけど、うちは醤油と酒だけ。わさびを少し添えることもあるかな」とあきよさん。愛子さんも「うちも味付けは醤油と酒。握りにするのはお祝い事とかちょっと特別なとき。普段は丼だね」と言います。
手軽だけれど、手抜きではなく、見た目にもこだわります。彩りに、ちょこっと明日葉を飾ったり、薄いピンク色のガリを添えたり。「刺身は余ったものでいいの」と言いつつも、できるだけ白身魚を選んで薄切りに。それも、きれいなべっこう色に仕上げたいという思いから。
「今日の魚はメダイ。この辺りで獲れる白身の魚だよ~。辛いの好きっていうから、青唐多め、サービスね」。まさにパパッと作ってくれたべっこう寿司とべっこう丼は、飾らない美味しさ。青唐と醤油の香りがストレートに伝わってきます。
それにしても、べっこう寿司は何度食べても飽きないし、いつまでも食べていられそうなほど食が進みます。手早く作られてサッと食卓に登場、でも、そこに流れる時間はゆったり。べっこう寿司を囲む食卓には、江戸っ子がお昼に握りをサクッと食べるような潔さと、のんびりとした島の空気感が入り混じったような、不思議な心地よさがあります。
伊豆諸島の他の島にも、べっこう寿司に似た郷土料理があります。なかでも八丈島の「島寿司」はよく知られています。甘めの醤油だれに近海で獲れるメダイやキンメダイ、カンパチなどの白身の刺身を漬け、握った酢飯の上にのせ、練り辛子を付けるスタイルで、伊豆大島の青唐辛子と同様に、辛子がなくちゃはじまらないんだとか。
「初鰹 辛子がなくて 涙かな」。元禄時代、大奥最大の色恋事件によって三宅島に流刑となった、人気歌舞伎役者の生島新五郎が、二代目市川團十郎に宛てたとされる句です。かつて江戸では初鰹を辛子醤油で食べるのが粋とされており、「初鰹 銭と辛子で 二度涙」という句も残されています。当時は初鰹も辛子も高価だったため、無理をして奮発し、辛子の辛さと散財で二度涙を流すという自虐的ユーモア。江戸っ子たちの食へのこだわりが、愛嬌たっぷりに浮かび上がってきます。かつて江戸っ子たちが熱狂した〝初鰹に辛子〟の名残のようなものが、いつしか伊豆諸島のあちこちに伝播し、今も根付いているのかもしれない…。江戸っ子にとっての〝初鰹に辛子〟の辛子は、伊豆大島でいう青唐辛子なのでは…? 勝手な想像が膨らみます。
べっこう寿司や島寿司について、発祥や歴史を知りたくてたまらなくなりました。でも、寿司の専門書を読んでも、観光課などで聞いても、確実な情報は得られず。伊豆大島でべっこう寿司を作ってくれた3人のお母さんたち、出会ったお母さんたちのお話でも、
「辛子? わさび? 八丈島は辛子だけど、ここでは使わないな~」
「青唐辛子は必ず使うけど、わさびを添えるかどうか。人それぞれだよね~」
「味付け? 甘味を入れたり、入れなかったり。家によって違うんだよ~」
「誰かに教わったわけじゃないんだよね~。気づいたら作ってたわ。ハハハ!」
べっこう寿司は気楽で、どこか〝ゆるい〟。ルールはひとつ「青唐辛子を使うこと」。細かいことは気にしない人が多いのに驚きました。察するに、口承と体験を重ねて伝わる民話のようなものなのかもしれません。そこにあるのは、郷土料理たる懐の深さ。縁の下で支えているのは、伊豆大島で採れる青唐辛子です。トントントンと刻んで、サッと漬けて。お刺身をピリッと艶っぽくドレスアップ。あぁ、べっこう寿司。いい名前が付けられたものです。
*宿泊、釣り船ともに要問い合わせ
●伊豆大島へのアクセス
東京竹芝桟橋から高速ジェット船で1時間45分~、または夜行大型客船で6時間~。
その他、神奈川県横浜港、久里浜港、静岡県熱海港、伊東港等からの船便もあり。
東海汽船 TEL:03-5472-9999 または 0570-005710
URL:https://www.tokaikisen.co.jp/