発酵に恋して。
なぜ微生物への興味が止まらない?
小泉武夫が語る一途な発酵愛
2019/01/17
発酵に恋して。
2019/01/17
発酵学の第一人者であり、これまで実に143冊もの食にまつわる著作を執筆(2018年12月現在)してきた文筆家でもある小泉武夫(こいずみ たけお)先生。発酵に興味を持つ人であれば、少なくとも一度はその名前を目にしたことがあるでしょう。
東京農業大学の名誉教授をはじめ、鹿児島大学や琉球大学など全国各地の大学の客員教授を務めるほか、発酵や食にまつわる活動にも精力的。長年に渡って発酵学の研究に取り組み、発酵の力を人々に広めてきました。
今回は、そんな小泉先生の発酵との出会いと今に至る足跡、そして、目からウロコが落ちるような興味深い発酵話を伺いました。
福島県小野町の酒造家に生まれた小泉武夫先生。少年時代はとにかくわんぱくで、冒険と食べることが大好きだったといいます。国内外の発酵食文化を訪ねた紀行文を多く執筆している小泉先生の素養は、このころから培われていたようです。
「私が住んでいたところは、海抜400mの阿武隈高地(宮城県南部から茨城県北部にかけて広がる高地)と呼ばれる地域で、自然がとても豊かでした。酒蔵の裏にあった池や田んぼ、山なんかでいつも遊び回って、さまざまな生き物や植物とふれ合っていましたね。
よくカエルやヘビなんかを捕まえて皮をむき、串で刺して焼いて食べていました。冬眠に入る前の時期は特に、まるまる太っていておいしいんですよ(笑)。秋には柿や山ぶどうなんかもとれましたね。自然を相手に冒険するのが大好きな少年でした」
近所でも有名なわんぱく小僧だったという小泉先生はその後、当時日本に唯一存在した醸造学を学べる学校であった東京農業大学に進学。醸造学と発酵学について学び、微生物の世界に足を踏み入れて大きな衝撃を受けたそうです。
「生まれたときから(造り酒屋のため)家に麹があったわけですから、発酵の道に進んだのは必然的で宿命みたいなもの。親のすすめもあって入った大学でしたが、当時は『発酵』というものが一般的に知られていなかった時代。『発酵学』というものがとても新鮮なものに感じられました。
発酵学というカテゴリの中に醸造学が入るのですが、どちらも基本的には微生物学。目に見えない微生物を研究するのがとにかくおもしろかった。発酵と一口にいっても食品だけではありません。抗生物質も作るし、環境保全のためにも利用されるし、さまざまな分野があります。微生物の存在を知ってから、ものすごく世界が広がりました。大きな興味とともに一生懸命に勉強したものです」
大学を卒業した小泉先生は、「酵母の生成する香気に関する研究」という論文を発表し、母校で農学博士号を取得。のちに、同大学の教授として教鞭をとるようになります。
「日本酒の大吟醸って、フルーティーな香りがしますよね。実は、もろみやお酒を分析するとメロンやバナナの匂いとパターンが同じなんです。米から果物の香りがするなんて、不思議じゃありませんか?そこで私は、この酵母の香気に関する研究に取り組むことにしました。
酵母には良い匂いを作る物、嫌なにおいを作る物があります。シャーレで培養した酵母を特殊な方法で染色すると、赤く染まった酵母は良い匂いを、ならなかった物は悪いにおいを発することが判明した…というような内容の研究論文を書いて学長賞をもらったのですが、それをきっかけに教授職に就くことになりました」
小泉先生の微生物に関する興味は尽きることがありません。そのことは、これまでに発表した多数の著書に明らかですが、中でも2017年に発表された「超能力微生物」(文藝春秋)では、微生物たちが持つ驚異的な力やその謎についてスリリングに迫っています。
「沸騰させても死なないという納豆菌があったり、125℃という高温の中でも大丈夫、濃硫酸や猛烈な放射能の中でも生きられるといった、とんでもない生命力を持つ微生物が存在するんです。そして、私たちの体の中にも、たくさんの微生物が生きています。大人1人につき4兆匹の微生物が存在しているんですよ!
もし、人間が顕微鏡的な目を持っていて身の回りの菌がすべて見えてしまったら、耐えきれないでしょうね(笑)。見えない生き物がとんでもない力を持っているということ、その衝撃は非常に大きくて、そういったさまざまな事実を知れば知るほど興味をそそられていくんです」
今でこそ発酵食品が注目され、それが人間の健康と密接に関わっていることは広く知られていますが、そのきっかけとなったのは小泉先生その人です。
2002年にテレビ番組「NHK人間講座」の中で3ヵ月にわたって放送された「発酵は力なり」が最初だろうと振り返ります。
「番組の中でさまざまな発酵食品の魅力と健康効果についてお話ししました。今では常套句のようになっている『甘酒は飲む点滴』という言葉、これは番組の中で私が言ったものなんです。ビタミンB1・B2・B6、パントテン酸、イノシトール、ビオチンなど、1日に必要なビタミン類がほとんど入ったブドウ糖の溶液である甘酒は、つまり点滴と同じじゃないかと考えてね。ビタミンを作り、米の表面にあるたんぱく質を分解してアミノ酸を生成する…麹の力って本当にすごいですよね」
味噌や醤油、みりん、酢、酒といった日本人の食卓に欠かせない調味料を作っている麹。この「麹」という文字は「糀」と書かれている場合もありますが、この違いとは…?
「『麹』という字は、中国から来た漢字で、中国では麦を原料に麹が作られていたから麦という文字が入っている。一方の『糀』は日本でできた国字。米を使って麹菌を作ると、ちょうど花が咲いたような形になるのでこの字になったんです。日本人の感性は、美しくすばらしいですよね。
麹菌には黄麹菌・黒麹菌という2種類があって、甘酒や日本酒など多くの発酵食品を作っているのは黄麹。黒麹は焼酎を作る物ですが、これは沖縄にしかないので『アスペルギルス・リュウキュウエンシス』という、琉球にちなんだ学名がつけられています。黄麹菌も黒麹菌も日本の国菌に指定されていますが、菌を国の物として認定するなんて日本くらい。世界一の発酵大国たるゆえんですね」
「日本は世界に類を見ない発酵大国。『漬け物大全』(講談社)という本でも書きましたが、日本には何千種類もの漬物が存在していて、大根の漬物だけでも87種類あるんです。欧米なんてザワークラウト、ピクルスくらいなのに。
これまで数多の発酵食品を食べてきましたが、一番衝撃的だったのは、石川県の郷土料理で、ふぐの卵巣を秘伝の特殊な方法でぬか漬けにした物ですね。青酸カリの180倍の毒性といわれるテトロドトキシンという猛毒を持つふぐの卵巣を食べ物にしてしまうなんて、とんでもないですよね。私はこれを『解毒発酵』と呼んでいますが、奄美大島などで作られている『そてつ味噌(※)』も同例です。本当に日本の発酵文化はすごい!」
※そてつ味噌:そてつの雌花にできる種子と玄米を主原料とした、鹿児島県奄美群島や沖縄県粟国島でおもに作られている味噌。そてつには、「サイカシン」という有毒で発がん性のある成分が含まれていますが、発酵中の微生物の働きによって解毒されます。
味噌汁を毎日飲み、最も好きな発酵食品はくさやだと語る小泉先生。最後に、今後の展望をお伺いしました。
「現在は、発酵をキーワードに地域を活性化させ、街づくりをサポートする活動に注力しているところです。会長を務めている『全国発酵のまちづくりネットワーク協議会』では、現在、全国50~60の県・市・町が参加し、この活動に取り組んでいます。また、理事長を務める『発酵文化推進機構』においては、活動の一環として、『全国発酵食品サミット』というイベントを各地で行っており、2018年には長野で行われました。発酵の力を借りて、もっともっと地方を元気にしていきたい、それが今の私の目標です」
「発酵仮面」「味覚人飛行物体」――こんなユニークな異名を持ち、多岐にわたる活動の中で微生物のすごさと魅力を独自の視点でわかりやすく、ユーモアを交えて語ってくださる小泉先生。
まだまだ謎のベールに包まれた、たくさんの微生物が働く発酵の世界を、これからも私たちに見せてくれるでしょう。
農学博士
農学博士
1943年、福島県生まれ。東京農業大学名誉教授のほか、全国の大学で客員教授を務める。専攻は醸造学・発酵学・食文化論。国や各地の自治体など、行政機関での食に関するアドバイザーを多数兼任。食にまつわる著書は140を超え、テレビ出演も行うなど多方面で活躍している。