発酵に恋して。
発酵で世界を平和に!
こうじ料理研究家・浅利定栄が麹に目覚めた理由
2019/01/24
発酵に恋して。
2019/01/24
大分県佐伯市にある、創業300年以上の老舗「糀屋本店」に生まれた浅利定栄(あさり じょうえい)さん。現在は家業である「糀屋本店」に身を置きながら、こうじ料理研究家として料理教室の講師や、海外にも目を向けた麹や発酵調味料の普及に力を入れて活動されていますが、そこに至るまでの経歴がユニークです。
宮崎大学医学部 看護学科を卒業し、東京都内の病院に4年ほど勤務。その傍ら、世界20数ヵ国を旅したのちに、青年海外協力隊へ参加しています。そこでパラグアイに赴任し、現地で看護師・保健師として地域保健活動を行っていたのだとか。なぜそのようなキャリアを経て、ある意味自身の「原点」である麹に携わる仕事をするようになったのか。その興味深い経緯について、話を伺いました。
伝統ある麹店の長男として生まれた浅利さんですが、看護師としてパラグアイに赴任していた時期もあるなど、経歴を見ると現在のお仕事からは距離があるように思えます。麹を広めるという活動をスタートしたきっかけは、いったいどのようなものだったのでしょうか?
「最初に麹の作り方を知ったのは、パラグアイに滞在していたときでした。私が赴任していたのは日系のコミュニティーがある地域で、そこで看護師として高齢の方などに向けた健康教室を開いていたんです。
そうしたある日、母(※)が出演していたNHKの番組『きょうの料理』を見た日系人の方に、『浅利さんって変わった苗字の女性が出ていたけど、知り合い?』と聞かれて、『いや、それ私の母です』と(笑)。その出来事をきっかけに、麹を使った料理教室や、看護師としての観点から麹の持つ機能や栄養などを伝える講座も開くようになりました」
※浅利定栄さんのお母様は、「糀屋本店」の現社長である9代目当主・浅利妙峰さん。「こうじ屋ウーマン」という異名を持ち、妙峰さんご自身もかねてから日本のみならず世界を舞台に、麹文化の普及に努めています。
▶浅利妙峰さんのインタビュー
こうじ屋ウーマンに聞く、日本の食文化の未来。
驚いたことに、パラグアイの日系コミュニティーには味噌も醤油も当たり前にあり、麹を作っている方もいたのだそう。
「麹室などがあるわけではありませんが、それを発泡スチロールで代用したり、温度の管理に気を付けたりと、彼らなりの方法で麹を作っていました。実家でちゃんとした麹の作り方を教わったことがなかった私は、彼らのやり方を見ながら、自分なりの機材と方法で麹づくりを始めました。そして帰国したのちに、実家できちんとした製法を学び直すことになるのですが、日本とはまったく違う環境と設備の中でも、こんな風に麹が作れるんだとすごく勉強になりました」
麹屋という出自にもかかわらず、初めて麹づくりを知ったのがパラグアイの日系コミュニティーだったという浅利さん。それまでは、家業についてあまり興味はなかったのでしょうか?
「正直なところ、長男であるにもかかわらず、当時の私には家業を継ぐという明確な意思はなくて、いずれタイミングが来たら…というくらいにしか思っていなかったんです。そのころは、祖父母が実家で元気に働いていたので、自由でいられるうちは海外に出てやりたいことは全部やろうと。
だけど、そうしてバックパッカーや青年海外協力隊として20数ヵ国を回った末、地球の裏側であるパラグアイまで行って麹と出合ってしまったわけですから、『ああ、やっぱり』ってなりますよね(笑)。もうこれは運命なのかなと」
パラグアイでの麹との思いがけない再会をきっかけに、帰国後は母親の妙峰さんと同じ「麹文化の普及と伝承」に邁進することになります。しっかりと食について学ぶべく、イタリアの食科学大学大学院へ。また、料理については都内の和食・寿司専門のアカデミーへ通う決意をしました。
「イタリアでは食文化に関する修士号を取るために留学したのですが、ただ単位を取るだけではなくいろいろな人からレシピや独特な調理法、料理技術を学ぶことができた素晴らしい1年間でした。食科学大学は、イタリアのスローフード協会の創始者が設立した大学なので、料理人や食に興味がある人が学生として世界中から集まってくるんです。
年に5回ある研修旅行では、イタリア国内やヨーロッパ各地のスローフードのコミュニティーや小さな農園、伝統的な手法を守っているレストランなどに赴いていろいろ学びました。また、さまざまな国から来たクラスメイトや在校生とのカルチュア・エクスチェンジも頻繁に行っていましたね。和食を作る代わりに友人たちが自国の料理を作る、私が麹について教える代わりにパンの焼き方を教えてもらうといった感じでした」
クラスメイトや友人たちとの食にまつわる異文化交流だけでなく、食文化の講義でも、今につながる影響を受けたといいます。
「入学して最初に受けた『コロンビアン・エクスチェンジ(コロンブス交換)』という講義がすごく印象的でした。コロンブスが新大陸を発見した前後で、食物をはじめ、動植物や感染症、文化、生活習慣がどのように変化したか、といったことを考察していくのですが、例えばイタリアやスペインのイメージが強いトマトは、実は南アメリカのアンデス高原が原産の植物だとか、さまざまな発見があってとても興味深かったです」
確かに、トマトのないイタリア料理は想像できませんが、「ない物をどうにかする」という発想は、浅利さんの料理を支えるひとつのポイントになっているそうです。
「『この食材がないからこれは作れない』というのは寂しいじゃないですか。ですから、レシピを考えるときは、手に入りにくい食材は極力使わないようにしています。
例えば、海外のレシピを日本で再現しようとしても、手に入らない材料はどうしようもありませんよね。高いお金をかけてネット通販などで買うことはできるかもしれませんが、それよりもまず、レシピにその食材や調味料が入っている意味を考えた上で、代替品となる物がないかどうかを考えます。
置き換えられる物って結構あるし、それを考えるのは案外おもしろい作業なんですよ。旨みやコクを出す目的であれば、塩麹で代用できる料理はとても多い。逆に、『この食材がなければ絶対に作れない』という料理は、意外と少ないと思います」
どこかに旅行へ行ったときに食べた料理の味が忘れられず、自宅で再現してみたいと思ったけれど、その地ならではの材料が近場で手に入らないから断念…という経験をしたことがある人は多いはず。
でも、そんなときは、その料理に使われている材料の特徴や目的を考えた上で、手に入りやすい物と置き換えてみよう――そんな浅利さんの発想を取り入れると、料理のレパートリーや可能性はぐんと広がりそう。そこで、日本の発酵食品を活用できれば、おいしさのほかに「健康」という恩恵もプラスされますね。
「『With fermentation, the world will be as one(発酵で世界を平和に)』という言葉を自分のスローガンとして掲げているのですが、『おいしく食べてより健康で楽しく』というのが目指すところ。ちょっとでもそのお手伝いができるよう、今後も活動を続けていきたいです」
こうじ料理研究家
こうじ料理研究家
1982年、大分県佐伯市生まれ。「糀屋本店」の9代目・浅利妙峰の長男。宮崎大学医学部 看護学科卒業後、東京で看護師として勤務するかたわら、世界中を旅したいという幼いころからの夢を叶えるため、東南アジアを中心に20数ヵ国を旅したのち、青年海外協力隊に参加。2011年から約2年間、パラグアイに看護師として赴任。現地の日系コミュニティーでふれた発酵食文化にも影響を受け、帰国後は「糀屋本店」を拠点に、世界各地で麹の普及活動を行う。2016年11月、イタリアの食科学大学大学院にて、食文化とコミュニケーションについての修士課程修了。現在は東京、海外を中心に、麹の普及活動に携わる。