Facebook Twitter -
一皿のものがたり
旅の記憶を呼び起こし、日常を豊かにしてくれる器。
西荻窪のギャラリー&ブックカフェ「松庵文庫」
2019/09/19
一皿のものがたり
2019/09/19
お気に入りの器になにを盛りつけるのか。大好きな料理を盛りつけるのはどんな器がいいのか。そんな思いをめぐらせる食卓は豊かな時間を生み出します。「一皿のものがたり」では、器と料理にまつわる物語を語っていただきながら、その方の日々の想いや暮らしについてお話をうかがいます。
今回お話しいただいたのは、西荻窪のギャラリー&ブックカフェ「松庵文庫」のオーナー岡崎友美さんです。
大きな窓から入るやわらかな陽の光。使い込まれ味わいを増した椅子やテーブル。店内にある本棚からそっと一冊を取り出し、ソファに腰掛けて、おいしい珈琲をいただきながらページを開くことができたらどんなに素敵だろう、そんなことを想像させるほど店内にはゆったりとした時間が流れています。
「この建物は、もともと音楽家のご夫妻が住んでいらした家でした」と岡崎さん。
「もともと、カフェをやろうというつもりはなかったんです。こちらに住んでいらした音楽家ご夫妻の旦那様が亡くなり、奥様が『一人で住むには広すぎるからここを手放そうと思う』。そうおっしゃって、近くに住んでいる私たちを家に招いてくださり、中をご案内いただいた時、直感的に『ここを残したい』と思いました」
この家を残すにはどうしたらいいだろう。そう考えた岡崎さんは、この空間とここに流れる時間を多くの人にシェアする手段として、ギャラリー&ブックカフェを開こうと決めました。
「カフェを経営するなんて、それまでまったく考えてもいなかったですが、あれから丸6年。スタッフにも恵まれ、多くのお客様に訪れていただく場所になったことを本当にありがたく思っています」
笑顔を浮かべながらそんなふうに語る岡崎さん。西荻窪の住宅街に佇むこの店は、ランチに出かけたり、お茶をしながら読書をしたり、ギャラリーの器を手にとったり、イベントに顔を出したり、思い思いの時間を過ごすことができる場所として今では多くの人に愛されています。
ギャラリースペースに並ぶのは、岡山のグラス、ベトナムのピッチャー、カザフスタンの大皿など、さまざまな場所からこの地へと集まってきた器や雑貨たち。まったく異なる場所からやってきたはずの器や雑貨ですが、そのどれもがしっくりとこの場所に馴染んでいます。
並んでいる器や雑貨はどんなふうに選んでいるんですか? そう伺うと、岡崎さんは「感覚ではあるんですけど……」そういいながら、自らの言葉をひとつひとつ確認するようにお話くださいました。
「器や雑貨を目にした時、使い手の姿が浮かぶかどうかを大切にしています。例えば、かごであれば、働いている、仕事をしているかごの佇まいが好きです。ですから、アンティークであっても、新しいものであっても、暮らしの中にそのかごがしっくりといることができる“場所がある”か。そういうかごになってくれるかどうかを頭に浮かべながら選んでいるように思います。また、海外からやってきた今まで目にしたことがないものや、それまで言葉にはできていなかったけれど、『そうそう、私が欲しかったのはこういうのだ』と感じるものに出会うと、ワクワクしますね」
また、少しずつ自らの好みがわかるようになったものもあるそうです。
「実は、店を始める以前は、ガラスというとグラスやサラダを盛り付ける以外にどう日常に取り入れたらいいのか、あまりイメージできない素材でした。とくにピカピカとしたガラスは、どこか“取り付く島がない”という印象をもっていたんです」
そんな岡崎さんに、ガラスの印象をがらりと変える器に出会う機会がありました。
「あるギャラリーに伺った際、そこにポツンとおかれたガラスの器がとてもきれいだったんです。夕暮れの日をうけて落とした影がとても美しくて。『あぁ大変、ガラスがこんなにきれいなんて知らなかった』って思いました」
石川昌浩さんという作家さんのものだと教えていただき、そのガラスを持ち帰った岡崎さん。家の食卓で何度も眺めては、見とれていたといいます。
「ポテトサラダとか、そういういつもの料理を盛りつけても、とってもいいんです。気分がぐんと上がるような感じがして。日常にありながら、ちょっと気分を上げてくれる。それが器のいいところだなぁと思います」
以来、自分の好きなガラスの器がどういうものか意識するようになり、ガラスの世界もぐっと身近に感じるようになったそうです。
ありきたりでなく、ワクワクを喚起させてくれる新鮮さがありながら、日々に寄り添ってくれるもの。そういうものに惹かれるのは、おじいちゃんの家での記憶が関係しているのかもしれませんと、岡崎さん。
「曽祖父は、医師としてフランスに渡った人だったそうなんです。そのため、おじいちゃんの家の古い食器棚には、どこか異国の香りのするものが並んでいました。子ども心にもっと見ていたい、覗いていたいといつも思っていましたね」
そんな記憶が影響してか、岡崎さん自身も旅が好きで、さまざまなところに出かけては器を連れて帰ってくるといいます。今回ご紹介くださる器も、そうした品のひとつ。旅から持ち帰り、日々の暮らしのなかで使っているものだそうです。
「この器は、大嶺實清(おおみねじっせい)さんという作家さんのもので、7〜8年ほど前でしょうか、沖縄のやちむん(焼き物)の窯を見に行った時、出会いました」
沖縄の焼き物というと、特有の色柄のものがよく知られており、そうしたものも大好きだという岡崎さんですが、ひと目見た時、すぐに『この器がいいな』と感じたそうです。
「盛り付けるのは、お漬物や枝豆、だし巻き卵、きんぴらといった、ごく普通のおかずです。でも、この器に盛ると少し特別感が出るんです。色や形、薄さが絶妙で、我が家のほかの器に馴染みつつも、この高台があることで、いつもの食卓の表情を変えくれる。とても気に入っています」
旅先で購入した器は、旅から帰ったあとの時間も豊かにしてくれると岡崎さんはいいます。
「日常に戻ったあとも、その器を手にすると、旅のこと、出会った作家さんのことなど、旅の時間や記憶がうしろに見えてくる。それが大切だなと思っています。器を旅先から持ち帰るのって割れないかなぁとか、重いかなぁなんて、けっこう大変なんです(笑)。でも、旅の思い出を持ち帰り、ずっと感じていられる。それが楽しくていつも重い器を旅先から持ち帰ることになるんですよね」
はじめて旅から持ち帰った器も印象的なものだったそうです。
「まだ20代初めのことだったと思います。マレーシアからトルコを経由して、ヨーロッパを回り、またマレーシアに戻るという1カ月ほどの旅に出たんです。さまざまな文化のある街を巡り、見たことのないものにたくさん出会いました。そのひとつが、イギリスで出会った素敵なエッグスタンドでした。『こんなの見たことない』と思ったと同時に、『これをみんなに見せたい』と思ったのをよく覚えています」
カフェ&ギャラリーを開くよりずっと前のこと。しかし当時からすでに、「使ってみたい」でも、「ほしい」でもなく、「これをみんなに見せたい」と、今と同じ想いに駆られていたことに少し驚きつつ、現在につながる原点のような旅だったと、ときどき思い出すことがあるそうです。
「今は、お店にいる時間も長いですから、私自身が旅先で器を見つけてくる機会は、以前ほど多くはありません。代わりにご縁のある方が、見たことないような品を持ってきてくださることをとても楽しみにしています。でも、いつも心のどこかに、地球には私の知らない、いろいろなものがまだまだたくさんあるんだって思っていて。それらをかき分け、かき分け、見つけて、持ち帰りたい、という思いがあります。またいつか、再び冒険の季節がやってくるかもしれませんね」
そんなふうに楽しそうな表情でお話くださる岡崎さん。
「この場所を残したい」その思いから受け継ぎ、生まれた『松庵文庫』は、6年という月日を経て、お客様や、働く仲間の皆さん、そしてさまざまな旅の気配を漂わせた器や雑貨が集う場所となり、今日も人々の日常を温めています。
西荻窪のギャラリー&ブックカフェ『松庵文庫』オーナー。
松庵文庫では、在来野菜などを用いたランチやカフェメニューを提供するほか、器・雑貨などをセレクトしたギャラリーを併設している。