日本の朝ごはん
伊豆河津の「わさび丼」で味わう
わさびの本当のおいしさ
2019/10/17
日本の朝ごはん
2019/10/17
静岡県伊豆半島を南へと走る国道を進み、小説『伊豆の踊子』の舞台であり、『天城越え』の歌でも有名な天城山のふもとの町、河津町に向かいました。お目当ては、朝から多くの人が訪れると評判の「わさび園 かどや」の「わさび丼」です。
静岡県伊豆は、わさび産出額日本一を誇り、市の花にもわさびを採用するなど、わさびの栽培が盛んな場所です。そんな伊豆 天城山の湧き清水で育てるおいしいわさびを、客が自らすりおろし、ごはんにのせてシンプルにいただく『わさび丼』は、ここでしか味わえないおいしさだと人気となりました。評判が評判をよび、有名グルメドラマにも取り上げられたということもあって、朝9時の開店時間には県外からも多くのお客様がこのお店を訪れ『わさび丼』を味わっていきます。
今回は、そんな「わさび園 かどや」のご主人であり、わさび農家でもある稲葉伸晃さんにお話を伺いました。
「まずはわさび沢のほうに向かいましょう。はじめての人が運転するのは難しい道なので、私の車にどうぞ」。ご挨拶もそこそこに稲葉さんにそう促されて乗り込むと、車は木立の並ぶ細い山道を、川のせせらぎを横に見ながら進んでいきます。
道すがら、稲葉さんはわさびについてさまざまなことを教えてくださいました。
「そもそも、わさびの歴史は古いんですよ。西暦600年代、飛鳥時代のものとされる木簡に、すでにわさびのことが記されています。もともとは薬として珍重されており、大変高価だったので、一般の人は口にはできなかったようです。おそらく聖徳太子は口にしていたんじゃないかと思いますよ」
食べ物をおいしくするためというよりも、その殺菌力の高さから、食中毒を防止するために用いられてきたというわさび。
「今は、わさびというと刺し身などをおいしく食すための薬味として用いることが多いですが、かつてはそうではありませんでした。主に川魚を食べていた日本人が、やがて海の魚も食べるようになります。海の魚には、腸炎の原因となる菌が存在することがありますから、殺菌作用のあるわさびを一緒に食べるようになったということです。最初は今のようにすり下ろすのではなく、わさび酢にしていたようですが、江戸時代になって醤油が普及し、わさびと合わせて用いるようになりました。ごはんと生魚の間にわさびを挟む寿司が考案され、今のような江戸前寿司の形が誕生したのもそのころのことです」
わさび農家に生まれ、わさびについて修士論文を書いたという稲葉さん。わさびの知識、情熱は、さながら“わさび博士”のよう。わさびへの愛情あふれる語り口に、引き込まれて耳を傾けるうちに車はわさび沢に到着しました。
「この谷のわさびは甘くておいしいんですよ」と稲葉さん。
場所によって違うんですか?と訪ねると「ぜんぜん違うんですよ」という答えが返ってきました。
「わさびのおいしさは、まず“香り”、次に“辛味”、“甘味”を順番に感じられるかどうかにあります。わさびというと辛いイメージがあると思いますが、そこに甘味がついてこないと本当のわさびとは言えない。そういう意味で、この谷のわさびには甘味があるんですよ。わさびを糖度計で測る人なんていないと思うんですが、私は測ってみた。そうすると、この谷のわさびには9度あったんです」
糖度9度というと、いちごにも匹敵する甘さ。ほかの谷では6度くらいのこともあるということですが、わさびにそれほどの糖度があるとは驚きです。
「冬の間、キャベツを雪の中で保存すると、甘くておいしいキャベツになるというのを聞いたことがありますか? 寒さの厳しい環境に置かれると、作物は凍らないために糖分を溜め込む性質があります。水がきれいだとおいしいわさびが育つんですね、と言われることがありますが、それだけではありません。もともと火山島だった伊豆の土地の性質からくる軟水の水、水の温度など、さまざまな条件がそろって、おいしいわさびに育つのです」
また、このわさび沢自体にも秘密があるそうです。
「この沢のわさびは、畳石式という伝統的な栽培法で育っています。仮に沢を真横から切って見ると、一番下には石が敷き詰められており、その次に砂利、砂という順番に層になっているのです。そのため沢自体がろ過装置の役割を果たすとともに、わさびの根が張りやすく、空間から酸素を取り込みやすくなっています。昔からの栽培法ですが、畳石式を新たにつくろうとすると莫大な費用がかかるため、大切に守りながら育てているんです」
もう一箇所連れて行っていただいたわさび沢は、今まさに収穫の真っ最中でした。収穫したわさびを、きれいに洗い、ひとつひとつ丁寧に根をとっていきます。
「沢の上の方を見てみてください。そこからちょうど湧き水が流れ込んでいるのが見えますよ」
そう教えていただき、冷たい水に足を浸しながら沢を登っていくと湧き水が流れ込んでいました。冷たく、透明度が高く、清水と呼ぶのにふさわしい美しい水です。「わさびの味は水で決まります」そう話す稲葉さんのお話のとおり、伊豆のわさびのおいしさはこの水が培っていることがよくわかりました。
ここで収穫したわさびは大きさ別に選別され、「わさび園 かどや」で使用されるのはもちろん、その多くは市場に出され、寿司屋をはじめとした飲食店や、食品店に並べられ一般の家庭で用いられます。
飲食店では、年間通じて用いられるわさびですが、旬はあるのですか?と伺うと、「わさびの旬は一般的には冬と言われていますが、一年を通しておいしさがあります」と稲葉さん。
「冬、わさびは成長を止め、栄養を蓄えていますから、辛味も強く、おいしい季節であることは間違いありません。一方、春になると体の中に水を蓄え、葉や根を伸ばしていくため、柔らかく辛味もまろやかになります。その分、茎や花などもおいしく食べることができる季節ですね。私は、それぞれの季節ごとにおいしさがあるように思います」
「そろそろ戻ってわさび丼を食べに帰りましょう」
美しい清水で育つわさび沢を見た後ですから「いよいよ!」と、いやがうえにも高まる期待。
お店に到着し、わさび丼を注文すると、「これをすってお待ちくださいね」とお店の方に、わさびとおろし板を渡されます。葉のあった上部からすりおろし、味が濃いとされる先まで残さずすってくださいとのことでした。
「わさびをおいしく食べるコツは、いかに細かくすりおろせるかにかかっています。優しく空気を含ませながら、わさびの中の細胞を壊すことで、辛味や甘味を感じるおいしい味わいになります。わさびは鉄を嫌うこともあり、すり金ではなく、きめ細やかにすりおろすことができる鮫皮のおろし板が一番ですね」
そんな稲葉さんの言葉の通り、鮫皮のおろし板で丁寧にすっていくと、次第にわさびの香りが漂い、その成分からか目には涙が溜まり始めます。「よしよし、これは細胞が壊れておいしくなっている証拠」と、涙を拭いながらすっていると、厨房からおかかがのったごはんと、わさびの茎を用いた佃煮など小皿のセットが運ばれてきました。
「おろしたわさびをごはんの真ん中にのせ、醤油はまわりに落として、少しずつわさびを崩しながら召し上がってください。わさびの風味が消えてしまいますから、決してわさびに直接醤油をかけないでくださいね」
教えていただいたとおり、醤油をまわりに少しずつ落としながら、わさびを崩して一口。ふんわりとわさびの香りが口の中いっぱいに、広がります。
「辛い!……、おいしい!!!」
ツーンとわさび特有の辛さが鼻に抜けますが、その辛さには爽やかな香りが伴い、辛さの裏側に甘みを感じます。そこからは、箸がどんどん進んでいきました。わさび、ごはん、おかかというシンプルな組み合わせは癖になるおいしさで、時折わさびの茎入りの佃煮などを加えて味のバリエーションを楽しみながら、あっという間にぺろりとどんぶりいっぱいのごはんをいただきました。
そもそもこのわさび丼はおかずがないとき、ごはんと漬物だけで食事を済ませてしまうのと同じように、わさび農家の人がごはんにおかかとわさびをのせて食べた、いわば家庭の簡単ごはんのような存在だったそうです。それを「わさび園 かどや」で裏メニューとして提供するようになったのは、あるテレビクルーがわさび沢を訪れた際、何かわさびを使った料理を紹介できないだろうか?と相談されたからだそう。
「それなら、子どもの頃から馴染みのあるこんな食べ方があるけれど……と、紹介したのが、店で出すようになったきっかけなんです」と、稲葉さん。
もともと食堂を営んでいた稲葉さんのお母様の店で、あくまでも裏メニューとしてわさび丼を提供するようになったそうですが、ある日稲葉さんにとって衝撃的なニュースを目にします。
「日本人がもっとも苦手な香辛料のひとつに、わさびが挙げられていたのです。これはいけない!と思いました。チューブに入ったわさびや、わさび味のスナックを食べたことはあっても、本物のわさびのおいしさを味わったことがない人が多いはずだと思ったんです。それからは、これまで以上に店で『わさび丼』を紹介し、ウェブサイトをつくるなどして、わさびをアピールするようになりました」
当初は、地元の人に「そんな家のごはんを店のメニューにするなんて」と笑われたと言います。しかし、そのおいしさから多くのお客様が訪れるようになると、提供するお店も増え、地域の名物になっていきました。
「本物のわさびは、健康的で、風味豊かなおいしい食材です。これからも多くの人に伊豆半島のわさびのおいしさを知ってもらえたら、こんなにうれしいことはないですね」
稲葉さんのこの言葉の通り、今朝も愛情いっぱいに育てられたわさびのおいしさを味わうために、多く人がわさび丼を目指して、朝の伊豆を訪れていることでしょう。