発酵を訪ねる
藁細工がきっかけで開いた発酵の扉。
「醗酵BAR 納豆専科 ひだりうま」
2020/05/07
発酵を訪ねる
2020/05/07
おなじみの発酵食品である納豆は、毎日の食卓に気軽に取り入れられる健康食品として、幅広い年代に愛されています。しかし、その製法は時代とともに変化を遂げ、今ではスーパーなどに並ぶ納豆のほとんどが培養された納豆菌を添加してパック詰めする形で販売されるように。そのため、昔ながらの藁に包まれた納豆を見かけることも少なくなりました。
そんな中、藁に棲みついている天然納豆菌だけで発酵させる藁苞納豆(わらづとなっとう)にこだわり、自家製おつまみとして提供しているのが、新宿区荒木町にある「醗酵BAR 納豆専科 ひだりうま」です。納豆に限らず、さまざまな発酵食品をみずからの手で仕込む、店主の村上昭次郎さんにお話を伺いました。
東京メトロ丸ノ内線「四谷三丁目駅」から、外苑東通りの緩やかな坂をいくと、そこはかつて花街として栄えた荒木町があります。老舗料理屋からユニーク、ディープな飲み屋まで、小規模で個性的な店が軒を連ねる町並みは、そこかしこに往時の名残を感じます。
路地裏にある「醗酵BAR 納豆専科 ひだりうま」もその一軒。店主の村上昭次郎さんは、和食店や焼肉店、イタリアンの名店などの飲食店を経て、ここ荒木町にお店を開きました。店の外にある、藁を荒く編んだ筵(むしろ)に、「納豆BAR」と書かれた看板が目印です。
店内奥にあるカウンターの周りには、藁細工や鉄瓶のほか、刀や簑(みの)といった品々がずらり。一見雑多ながら、村上さんの好きな物、興味のある物、この店の歴史とともにある物という共通項のせいか、カウンターの向こう側で微笑む村上さんとお店の背景に一つひとつがなじみ、初めて訪れた客との会話のきっかけとしても活躍しています。
「ひと味違うおつまみでおいしいお酒が飲みたい」と願う粋人や、発酵食品好きが集まる同店ですが、オープン当初は手切りの生ハムをお手頃価格で楽しめるのが評判のバーで、「おいしいものを安く」というコンセプトに惹かれた若者が多く訪れていたのだそう。その当時、村上さんが興味を持っていたのが自然栽培でした。
「自然栽培の野菜をメニューに加えたいと思って、無農薬で野菜を作る農家にコンタクトをとりました。そこで出合ったのが藁細工だったんです。藁でできた民芸品の作り方などを教えていただいて、趣味として猫ちぐら(藁を編んで作った猫用の寝床)などを作るようになりました」
藁細工を発端として、村上さんは奥深い藁の世界に足を踏み入れます。そして、その延長線上にあった、藁苞納豆から発酵食へと興味をどんどん広げていったのだとか。それに伴って、お店のメニューも少しずつ変化していき、現在のように発酵食品をメインに提供するようになりました。
納豆菌は非常に強いため、同じ場所で異なる発酵食品を作るのは難しいといわれていますが、東京農業大学名誉教授で、発酵の神様と呼ばれる小泉武夫先生の「米には納豆菌がつかない」という言葉にヒントを得た村上さんは、店内で米麹づくりにも挑戦。今では、味噌や醤油をはじめ、自然栽培のすりおろし玉ねぎに塩と麹を加えた玉ねぎ麹も手作りしています。
藁苞納豆は、自然栽培の藁で自然栽培の大豆を包み、藁に生息・付着した天然の納豆菌だけで発酵させる昔ながらの製法です。シンプルで伝統的な製法ですが、衛生面や品質面の管理が難しく、大量生産には向いていないことから、本格的な藁苞納豆に出合える機会はそう多くありません。
「一般的に販売されている納豆のほとんどは、純粋培養された納豆菌を添加する製法で作られています。すべて手作業で藁苞納豆を作っているのは、当店を含めて国内に1、2軒あるかないかでしょうか。とはいえ、藁苞納豆の出来は藁次第です。でも、納豆菌は強いから、それほど難しくはないですよ」
村上さんの藁苞納豆は、長野県上伊那郡飯島町の藁に、熊本県の大豆という組み合わせ。飯島町は、読んで字の如く「めしのしま」として古くから米づくりが盛んな米の産地で、日照時間が長いことから米俵など藁細工に用いる藁の品質にも定評があります。この藁で自然栽培の豆を包むことが、試行錯誤を重ねて確立した加水時間や温度などを忠実に再現すること以上に重要なポイントだと、村上さんは教えてくれました。
村上さんが藁苞をそっと開くと、納豆と藁の香りがほのかに漂ってきます。藁のあいだから顔をのぞかせる納豆は、普段見慣れているはずの納豆の倍はあろうかというほどふっくらと大きめの粒で、口に含むと濃厚な大豆の味わいが広がります。
定番のお通し4点セットは日替わり。この日並んだのは、藁苞納豆をはじめとする、村上さんおすすめの4品です。
・紅麹甘粥
沖縄の珍味である豆腐ようづくりに欠かせない紅麹と水だけで作った、鮮やかな赤色の紅麹甘粥。体を奥底からゆっくりと温めてくれるような、深い栄養価を感じさせてくれます。
・ゆず窯ゆべし
中身をくり抜いた柚子に調味した味噌を入れ、蒸した後に藁苞に入れて乾燥させたゆず窯ゆべし。完成までに時間がかかるため、製造は1年に1度という季節限定の一品です。噛むほどに広がる熟成した味わいと、鼻腔をくすぐる柑橘の香りが相まって、どんどんお酒が進みます。
・ウォッシュチーズのテット・ド・モワンヌ
「ウォッシュタイプのチーズを熟成させるのに必要な菌は、納豆菌に近いんですよ」と村上さん。専門の器具でくるくるとハンドルを回しながらチーズを削り取る様子は、見ているだけでもワクワクします。
発酵食品といっしょにお酒を楽しんだ後の締めの一品には、くさやと納豆のお茶漬けがおすすめ。トビウオやシイラなどの魚を、長年魚を漬け込んで発酵が進んだ液に漬けて作る干物の一種であるくさやは、強烈なにおいでも知られる発酵食品です。
それが納豆と合わされば「さぞや…」と思いきや、村上さんが丁寧に取った出汁の旨みがすべてを包み込み、深みのある香りが鼻腔をくすぐり、まろやかな味わいが舌の上に広がります。
仕事帰りの一杯にも、荒木町を飲み歩いた後の一杯にもそっと寄り添い、豊かな時間を演出してくれる、ひだりうまの発酵食品たち。
「磨きの少ない、無農薬栽培の米で醸された味は最高ですよ」と村上さんが絶賛する数々の日本酒とともに、ぜひ味わってみてはいかがでしょうか。