発酵を訪ねる
次世代へとつなぐ発酵の形を考える。
菖蒲花奈さんと「糀発酵研究所」
2020/10/08
発酵を訪ねる
2020/10/08
井の頭自然文化園のすぐそばに立つ一軒家に、小さく掲げられた「御殿山倶楽部」の表札が、菖蒲花奈さんが営む「糀発酵研究所」の目印です。日本料理店での修業中に、糀と出合ったことが人生の転機になったという菖蒲さん。
食材の長期保存のために編み出した先人の知恵が、現在まで脈々と受け継がれていること、食材においしさと栄養をプラスしてくれること、そんな発酵の魅力を伝える側に立った今も、心ときめく日々を送っていると話します。
発酵文化が廃れないよう、時代に合った提供の仕方を模索し続ける菖蒲さんの想いと、自身の運営する糀発酵研究所の活動についてお話を伺いました。
御殿山倶楽部の玄関を開けると漂ってくる、ほんのり甘い糀の香り。右手に目をやれば、窓際には醤油麹、塩麹、米味噌などの大きな瓶が並んでいます。和室に敷かれた絨毯の上には、磨き上げられたテーブルにかわいらしいドライフラワーが飾られています。初めて訪れたのにどこか懐かしく、疲れや緊張をやさしくほぐしてくれる、温もりに満ちた空間です。
ここは、菖蒲花奈さんが代表取締役を務める、糀発酵研究所内のカフェ。
毎月2週目の木曜から日曜まで、「生きている菌」をテーマにしたお料理を提供しています。
この日のコースメニューは、ビーツの甘酒に始まり、木箱に入った色とりどりの前菜、青柚子の香りが食欲をそそる地鶏の塩麹漬け焼き、手こね寿司、冬瓜の胡麻汁、伊勢産のブルーベリーを使った甘味などの全12品。自家製調味料をベースにした料理やドリンクは、季節や時期に合わせて変わります。
「季節ごとのお品書きを考えるのも楽しみのひとつ。体に良くて、しかもおいしい発酵料理を、存分に味わってもらえたらと思っています」
菖蒲さんが発酵の魅力に気づいたのは、会社員を経て料理の道を志し、和食の料理店で修業をしていた頃のこと。
「大学の卒業旅行で欧州へ行ったとき、日本人なのに日本をよく知らないという事実を痛感しました。もっと日本を知って、伝えていきたいという気持ちがずっと心の奥にあったんです。元々好きだった料理を仕事にしようと決め、和食を選んだのは自然な流れでした。
でも、女性が日本食の料理人になるのはただでさえ難しい上に、私には専門学校などで学んだ経験もありません。少しでも早く一人前になりたくて、日本料理店で修業させていただくかたわら、魚のさばき方を習いに行ったんです。それが、発酵食文化研究家・魚料理研究家の是友麻希さんの教室でした」
先人が厳しい自然を生き抜くために生み出した発酵との出合いと、今なお日本人の体を支え、食材に栄養とおいしさをプラスしてくれているという発見は、菖蒲さんの心を大きく動かしました。
このときの感動をきっかけに、菖蒲さんは味噌づくりに着手します。千葉の実家に近い工房で、原料と製法にこだわり抜いた600kgもの味噌を作り、マルシェなどに出店する活動を開始します。
同時に、無添加、無糖、非加熱で多くのアミノ酸を含む、甘酒の開発にも力を注いだそうです。
しかし、甘酒は製造過程で加熱処理をすると菌が死んでしまい、せっかくの高い栄養価を活かすことができません。
菌が生きている、作りたての甘酒を届けたい――試行錯誤の末にたどり着いたのが、作りたてをそのまま提供できるキッチンカーでした。
酵素やアミノ酸をたっぷり摂取できて、すっきりと飲みやすい、色鮮やかな自家製甘酒スムージーや酵素ジュース。そして、塩麹に漬けた肉に、甘酒を使った大根とにんじんのなますを合わせて醤油麹と蜂蜜のソースをかけ、米粉のフランスパンで挟んだオリジナルの発酵バインミー。
青山や恵比寿、高円寺といった都内で開催されるマルシェをはじめ、キッチンカーは行く先々で人気を集めました。
キッチンカーの活動を通じて得た手応えを足掛かりに、2019年に会社を法人化。同時に、ランチとアフタヌーンティーを提供するカフェを現在の御殿山倶楽部内にオープンしました。キッチンカーは敷地内で、土曜日に営業しています(雨天の場合は中止)。
「最初は知り合いや近所の方が中心でしたが、今では遠方からもお客様がいらしてくれるようになりました。20代から80代くらいまでの幅広い方にご利用いただいています。キッチンカーの常連さんもいて、営業日を楽しみにしてくれているのがうれしいですね」
今後は、カフェとキッチンカーを両立させながら、発酵をより身近に味わえる商品開発にも注力していきたいと話す菖蒲さん。休みを利用して開発・研究のため佐渡島へ食材を探しにいくなど、精力的に活動しています。
「体に良くておいしい発酵食が廃れないよう、広めるだけでなく未来に伝えていくことが、大切な役割だと思っています。そのためには、昔の物を昔のまま伝えるのではなく、時代に合わせたアレンジを加えていくことが大切。今を生きる人のライフスタイルに合った形で、発酵の魅力をどんどん発信していきたいですね」