世界を旅する料理人

アンドシノワーズが愛する
旧フランス領インドシナ料理と魚醤文化

2021/02/18

ラオス、カンボジア、ベトナムを旅しながら、旧フランス領インドシナ時代から続く伝統料理や生活文化を吸収し、日本で紹介しているのが、田中あずささん、園健さんの2人によるユニット「アンドシノワーズ」です。

彼らの旧フランス領インドシナ文化への熱い思いと活動内容、そしてインドシナ料理の要となる発酵食品、プラホーックやパデークなどについて教えていただきました。

旧フランス領インドシナの
名残を求めて、
ラオス・カンボジア・ベトナム

2010年頃から2人で旧フランス領インドシナ3国の田舎町を旅しながら、コロニアル文化と南国の風土に育まれた独特な生活文化を楽しんできたという田中あずささんと園健さん。
主な目的地は、1887~1954年の長いあいだ、旧フランスの植民地として統治された歴史がある、現在のラオス・カンボジア・ベトナムのエリア。特に、各国の食住を支える天然資源であるのメコン川流域や山間といった、都市部から離れた地域の料理や生活文化には、2人の愛する旧フランス領インドシナ時代の風情が色濃く残されています。

アンドシノワーズの田中あずささんと、園健さん。

インドシナのエキゾチックな文化の混交と南国の豊穣、そして植民地ならではの優雅さと歴史の切なさ。そんな、旧フランス領インドシナをテーマに掲げ、フランス語の形容詞であり、旧フランス領インドシナの意味を持つ「アンドシノワーズ」として、活動をスタートしました。

現在の主な活動は、11組限定の料理教室の開催。2人の審美眼で選んだ現地のアンティーク家具や調理器具、雑貨などに囲まれた空間で、楽しい解説を聞きながら口にする料理は、まるで時空を超えた仮想旅行を体験するかのような趣があります。

キッチンにそろう調理用具のほとんどは、現地で入手した物ばかり。

2人にとって、旧フランス領インドシナの魅力とは、どこにあるのでしょうか。

「宗主国だったフランスからの影響、そして華僑の文化、加えて南国ならではの食文化や自然環境、おおらかな人々…。そういったものすべてが混ざり合う旧フランス領インドシナが、私たちにはとても魅力的です」(田中さん)

「特有の地理的条件や、文化、歴史、政治などの要素も含めた食文化を広く伝えたいと常々考えていたのですが、それには国単位で考えるより、もっと俯瞰した視点が欲しいと思いました。それが、私たちにとっての、旧フランス領インドシナだと感じています」(園さん)

旅の始まりはいっしょでも
目的はそれぞれ違う

昨今は近代化の波により、かつての旧フランス領インドシナ文化もじわじわと現地から失われつつあるそうです。大好きな物がなくなってしまうのではないかという危機感を覚えた2人は、それらを自分たちで保存したいと考えました。

「以前は、現地に行きさえすれば自分たちの好きな世界に浸れる、そう考えていたのですが、思いのほか早いスピードでそれらが消えていってしまっていることに気がついたんです」(田中さん)。

フランス領インドシナ時代を追い求める現地での約1ヵ月にわたる旅は、空路で入れる都市からいっしょにスタートするものの、その先は別行動になることも多々あるそうです。カンボジアのプノンペンが起点であれば、田中さんはラオスの田舎に料理を習いに、園さんはカンボジアのトンレサープ湖で水上生活をする人々の食文化を調査しに行くといったように、その目的は異なります。

中でも、園さんのトンレサープ湖への旅は、日本から持ち込んだ組み立て式のカヤックで水上を行くワイルドなもの。外国人用の宿がない地域では、現地の人の家に泊めてもらったり、野宿をしたりもするそうです。

カンボジア・トンレサープ湖の水上集落。

彼らが都市から離れた辺境の地まで調査旅をする理由は、そこに旧フランス領インドシナ時代はもちろんのこと、さらに昔の食文化や生活が残されているからだといいます。

「ボートに乗って水路を行かなければたどり着かないような場所は、物を運びづらい。つまり、物流の面で都市と断たれていて、その分、昔の物が残っているんです。それに、なぜかそういった場所に暮らす人々には、しぐさやしゃべり方まで一世代前の様子が残っているから、より魅力を感じますよね」(園さん)

トンレサープ湖上で生きるベトナム人たちには、食文化はもちろん、本国ベトナムでは1993年に禁止され消えてしまったテト(旧正月)に鳴らす爆竹の風習も、まだ残されているのだそうです。

テトの爆竹を体験しようと、田中さんも園さんと水上集落まで同行したことがあるそうですが、そのとき、ちょっとした事件が起きました。

「お正月なので、とにかく皆さんお酒を飲むんです。私も相当酔いまして、不覚にもボートから湖に落ちてしまいました。世話になっていた家主に助けられて事なきを得ましたが、あとから考えると湖に浮かび常に微妙に揺れているフローティングハウスの上から人をひとり引き上げるって、相当な筋力がいるはず。その事件を通して、現地の方たちの身体能力の高さに感心してしまいました。彼らはほぼ毎日、たくさんのお米とちょっとしたたんぱく質という炭水化物中心の食事をとっているのに、筋肉は締まっていて、とても美しいと思いました。旅のハプニングも大きな収穫です」(田中さん)

国によって
特徴が異なる魚醤を
日本の味で再現することも

トンレサープ湖のナマズ、ライギョ、カワスズメなどを原料とした発酵食品が「プラホーック」です。原料の姿形が残る魚醤の一種ですが、バリエーションがとにかく豊富で、その味は格別だそうです。

「プラホーックが種類も豊富で味が格別な理由は、原料となる魚がおいしいから。トンレサープ湖は、メコン川本流よりも水温が高いので水草が多く、水中の微生物の活動が盛んです。そのため、淡水魚に特有の泥くささがまったくありません。さまざまな魚が生息していますので、それを発酵させて作る魚醤の種類も、おそらく世界一ではないでしょうか」(園さん)

カンボジアの魚醤「プラホーック」の一例。

包丁でよく叩いたプラホーックと豚肉の粗挽きをバナナの葉に包んで焼き上げた「プラホーック アーン」は、とてもカンボジアらしくておいしい一品。

「プラホーック アーンは、豚肉に対して3割から5割くらいプラホーックを使います。一般的に発酵調味料は少量だけ使用することが多いのですが、これには全体の半分近くプラホーックが入っています。魚醤を調味料としてだけでなく、具材として扱う傾向が強いのが、カンボジア料理の特徴のひとつですね」(園さん)

プラホーックと豚肉をバナナの葉に包んで焼いた、カンボジアらしい料理「プラホーック アーン」。

カンボジアとは対象的に、ラオスでは、国内を流れるメコン川からの漁獲量が比較的少ないため、カンボジアのように頭や内臓を取らず、魚を丸ごと発酵させます。そうしてできた魚醤の「パデーク」は、魚の内臓から感じる苦さのような風味がありますが、これもまた独特のおいしさ。原料となる鮒の近縁種が草食のため、このような味わいが出るのだそうです。

「パデークは、草食の淡水魚の内臓を含めて、丸ごと魚醤にするという点で、日本の長良川の鮎から作られた、魚醤の味わいと近いですね。日本でラオス料理を作るときは、パデークの代用として、長良川の鮎魚醤を使うこともあります」(田中さん)

ラオスの市場にて、「パデーク」について学ぶ田中さん。

2020年には、初のレシピ集「旧フランス領インドシナ料理」(柴田書店)を刊行し、書籍としても、愛する旧フランス領インドシナを保存する仕事を成し遂げた2人。最近はコロナ禍で現地に行けないこともあり、なおのこと思いは募ります。

「あの大好きな店や場所、知り合いのあの人たちは、これからどうなってしまうんだろうとか、今後のことについて、お互いに話し合うことが多くなりましたね。インドシナがどう変化していくかということも、私たちアンドシノワーズの研究テーマのひとつですから」(田中さん)

2人で旧フランス領インドシナの未来について話すときは、ついシリアスなトーンになりがちです。特に今は、メコン川のダム開発による流域の環境破壊について心配しています。魚醤をはじめとする、伝統的な食文化にも直接影響してくる問題ですからね」(園さん)

決して明るい世相ではないけれど、変わらず現地の人々が営み続ける食や生活の美しさを見つめるアンドシノワーズ。彼らの活動や現地の発酵料理を使った古典料理を通して、かつては確実に存在していた旧フランス領インドシナの魅力を知ることができます。

アンドシノワーズ

旧フランス領インドシナの食文化、生活文化を探求しながら、都内で料理教室を開催する活動を展開するユニット。写真家でもある園健(その・けん)さんはメコン川流域の食文化を、コピーライターでもある田中あずさ(たなか・あずさ)さんは山間の古典料理の研究を主に行っている。

アンドシノワーズ