発酵人

渓谷を覆い尽くす竹林をメンマに!
「天竜川鵞流峡復活プロジェクト」

2021/06/03

天竜下ればしぶきに濡れる――。
長野県の伊那谷地方に伝わる民謡「伊那節」の一節にも唄われる、名物の天竜舟下り。船頭の鮮やかな櫂さばきで川を下る爽快さと、舟から見上げる鵞流峡(がりゅうきょう)の渓谷美が魅力です。
ところが、近年の渓谷は生い茂る竹と不法投棄された産業廃棄物、家庭ゴミなどに覆われ、本来の美しさを失っていました。

そこで立ち上がったのが、船頭の有志たち。彼らは地道に竹林を伐採し、切り出した竹をいかだにして観光客を楽しませ、さらには発酵食品でもある「メンマ」を作って、天竜川鵞流峡の復活と地域活性化を両立させたのです。
鵞流峡がよみがえるまでの道のりを、天竜川鵞流峡復活プロジェクトの代表・曽根原宗夫(そねはらむねお)さんと、商品担当の伊藤隆子(いとうたかこ)さんに伺いました。

失われた景観の復活を目指して、
プロジェクト活動を開始

鵞流峡が少しずつ変化し始めたのは、川を見下ろす位置にあった温泉宿が1961年の氾濫で流され、渓谷に人が入る機会が激減してから。宿の裏手にあった竹林がみるみるうちに広がり、四季折々の自然を飲み込んでいきました。

整備される前の鵞流峡の様子。鬱蒼と竹が覆い茂り、暗い印象を与えていた。

「春には桜、秋には紅葉が楽しめたはずの渓谷は、一年中鬱蒼とした竹林の緑に覆われるようになりました」と教えてくれたのは、信南交通地域観光事業部 企画課長・船頭で、天竜川鵞流峡復活プロジェクトの代表を務める曽根原宗夫さんです。

さらに、人目につかない暗さを良いことに、産業廃棄物や家庭ゴミが持ち込まれ、渓谷の斜面に打ち捨てられるように。今から10年程前には、観光客に「ご覧ください」と言うのをためらうほど、鵞流峡は荒れ果ててしまったそうです。

そこで、2012年に曽根原さんをはじめ、数名の船頭が立ち上がります。
有志たちは、ノコギリを片手に生い茂った竹林に分け入り、手作業で伐採。同時に、曽根原さんはゴミを撤去すべく、市の環境課に掛け合いました。
ところが、曽根原さんの訴えは、責任の所在を求めて県へ、さらには国へ、回り回ってまた市へ…。めげずに訴え続ける曽根原さんの姿を見て、行政側が一斉撤去に動いてくれたときには、トラック数十台分のゴミが出たといいます。

地域の人々と船頭の有志たち。

伐採した竹は、船に載せて回収する。

「並行して、地主さんたちと協力して、竹の伐採を進めていました。せっかくきれいになったと思っていたら、冬の大雪で竹が折れて元の竹林に戻ってしまうなど、心が折れそうになることもありましたね。でも、あるとき船をこいでいたら、水面がきらきらと光ったんですよ。見上げると、地元の男性が一人で竹を切ってくれていた。そのおかげで、竹林に隙間ができ、そこから太陽光が差し込んでいたんです。彼の姿が少しずつ川に近づいてくるのを船の上で見ながら、『あきらめちゃいけない、またがんばろう』と励まされました」

不要な竹の利用方法を検討

切った竹は、ひとまず舟下りの駐車場に運んでいたものの、あっという間に山積みになり、今度は切り出した竹を利用する方法を考えることになりました。

曽根原さんたちが最初に思いついたのは「いかだ」。竹でいかだを組んで乗ってみたところ、予想以上のおもしろさで、手応えを感じたといいます。思惑どおり、一般向けに企画した「天竜いかだ祭り」のイベントは人気を呼び、竹のいかだは一躍新たなアクティビティとして認知されるようになりました。

さらに、割れて使い物にならなくなったいかだは、竹ボイラーの燃料として再利用。老朽化した和船に湯を沸かし、いかだ遊びやラフティングで冷えた体を温めたり、足湯として活用したりすることで、伐採した竹を使い切る循環が整いました。

こうして一件落着かと思われたところで、“親の仇”と曽根原さんが表現する、山のようなタケノコが今度は頭を悩ませます。

「春に取りきれなかったタケノコは、あれよあれよという間に成長し、人の身長以上の『幼竹』になります。これを放っておくとすぐに枝が生えて竹になり、また元の竹林に戻ってしまう。大量の幼竹が伸びている光景にショックを受けたときとき、ある人のことを思い出したんです」

それは、曽根原さんが福岡で竹に関する講演会に行った際に出会った、日高栄治さんでした。日高さんは、北九州の糸島で、幼竹をメンマに加工して竹林整備を進めていた人物。曽根原さんはすぐに日高さんに連絡をとり、メンマづくりの講師として飯田市に招聘しました。

メンマに使うのは、旬を過ぎて伸びすぎた幼竹です。2m前後に伸びた幼竹を刈り取り、節を取り除いて短冊切りにし、1時間程湯がきます。湯がいた幼竹は粗熱を取り、塩漬けにして密閉。約1ヵ月後、塩抜きをし、味つけをして完成です。

「景観を邪魔していた竹からできたメンマであることを知ってもらうため、国産の竹を食べている実感がわくように、大きめにカットしています。竹のほんのりとした甘みが感じられるように、薄味に仕上げるのがポイントです」(曽根原さん)

竹は乳酸菌をたくさん含むため、保存時に乳酸菌発酵が進みすぎると繊維が柔らかくなり歯ごたえがなくなる。
大量の塩で漬けることで、ゆるやかに発酵が進み長期保存が可能に。

「食べて竹林整備」を
鵞流峡から広く発信したい

2016年に試作したメンマは、上々の出来栄え。翌年には、耕作放棄地で野菜を作って加工している女性グループ「笑ったり 寄ったり(にったりよったり)」と共同でメンマを商品化し、「天竜川いなちく」として販売しました。地域の人が作って販売することで、地域にお金を落とし、さらには竹林整備の活動資金にしたいと考えてのことです。

同時に、活動の持続性を高めるため、次世代への継承にも着手。地元の竜丘小学校の子供たちに竹林伐採からメンマづくり、さらにはパッケージデザインや販売にまで携わってもらう取り組みをスタートしました。

ここで活躍したのが、同プロジェクトのメンバーで、食品デザイナーの経験がある伊藤隆子さん。伊藤さんは、子供たちに商業デザインの目的やポイント、注意点を説明し、販売につながるパッケージデザインにすることの理解を促しました。

小学生がパッケージをデザインした「天竜いなちく」。

「地元で取れた物を自分たちで商品にし、販売できるのは稀有な経験。自分たちの手で売り上げた子供たちの顔は、とても誇らしそうでした。この時期に得たビジネスの成功体験は、きっと社会人になってから確実に役立ちますし、地域経済への興味にもつながっていくと思います」(伊藤さん)

今後は、竹林整備と竹の活用方法のノウハウを広く伝え、天竜川鵞流峡復活プロジェクトの名にとらわれることなく活動の幅を広げていく予定だそう。

「天竜川いなちくの味つけや、パッケージのバリエーションを増やしていきたいですね。そして、天竜川鵞流峡復活プロジェクトを地方発信のビジネスとして広く展開していけたらと思っています」(伊藤さん)

「私たちはよく、『おいしく食べて竹林整備』と言っていますが、食べることと、里山をきれいにすることが、ここまで直結する食品はなかなかありません。食べている物が、山を変え環境を変えていく。このロマンを感じる取り組みを後世に伝え、長く、自走できる組織にしていきたいですね」(曽根原さん)

天竜川鵞流峡復活プロジェクト

URL:
https://garyukyo.org/