世界を旅する料理人
旅する料理人・曽我部智史さんが
注目するインド・ラダック地方の発酵文化
2021/06/17
世界を旅する料理人
2021/06/17
バックパッカースタイルで、世界を放浪しながら出合った料理を深く掘り下げ、それをイベント、レシピ制作、ミニコミ本の執筆などを通じて紹介している、旅する料理人・曽我部智史(そがべともふみ)さん。彼が今、注目しているのは、インド最北部に位置する山岳地帯の秘境・ラダックの料理です。
今回は、世界の食文化を巡る曽我部さんに、旅のエピソードやラダックの発酵文化についてお話を伺いました。
カレーの専門家だと思われることも多いという曽我部さんですが、そのフィールドはインド亜大陸だけにとどまりません。
「掘り下げれば掘り下げるほど、各国の食文化の横のつながりが気になるんです。例えば、タイには『カオモック』、サウジアラビアには『カブサ』、ミャンマーにも『ダンパウ』という、インドやパキスタン、バングラデシュで親しまれているスパイスご飯である、『ビリヤニ』のような料理があるんです。これらの料理のルーツが、インド亜大陸のビリヤニとどうリンクしているのか、知りたくなりますね」
こうした俯瞰から食文化を捉える曽我部さんのアプローチは、大学時代に初めて経験したというバックパック旅行のエピソードからも伺えます。
最初の旅行地・マレーシアのクアラルンプールでは、現地で出会った親切な中華系マレーシア人の若者に、家庭的なマレー料理のレストランに連れて行ってほしいと頼んだところ、予想外の展開が待ち受けていました。
「彼が自慢げに案内してくれたのは、なぜかインド料理店だったんですよ。日本人にとってはマレー料理もインド料理も大差ないだろうと考えたのか、中華系だから本人も区別がついていないのか、その当時は何とも図りかねましたが、いきなり旅の最初からカルチャーショックでしたね。そして自分にとっては、ちょっとおもしろい体験でもありました」
高校時代、故郷の広島県にあるインド料理店でアルバイトをしていた経験から、インド料理がどのようなものかはおおよそ知っていたという曽我部さん。しかし、この経験を通じて、マレーシアには「マレー系」「中華系」「インド系」の3民族が共存しており、それぞれの文化を保ちながら、互いにある程度の距離をとり合って暮らしていることを、身をもって体験したといいます。
その後、クアラルンプールから陸路でマレー半島を北上し、国境を越えてたどり着いたタイ南部のハジャイでは、市場の屋台でカオモックに初めて出合い、ビリヤニに似ていることに強い興味を持ちます。
さらに、タイを北上してたどり着いた、ミャンマー国境に近いメーホンソーンの森の中では、ミャンマーのシャン族と同じ文化を持つタイヤイ族の料理に魅了されました。
「酸っぱい発酵タケノコと春雨の炒め物がおいしかったですね。隣の国には似た料理があるのだろうか、あるとすればどう違うのか。そんな風に考えながら枝葉を伸ばしていくのが好きなので、国境では発見がとても多いんです」
以後も食をテーマに旅を続け、アジアや中東、ヨーロッパなど足を踏み入れたのは計33ヵ国。大学卒業後は飲食店の厨房で腕を振るったのちに独立し、現在まで飲食店のコンサルティング業務、イベント企画、レシピ制作など、多岐にわたった活動を続けています。
曽我部さんの活動でとりわけ興味深いのが、みずから執筆したレシピと料理研究を掲載した自費出版のミニコミ本です。
「インド人直伝 北インドのおうちカレー」や「ビリヤニの2割」など全9冊を出版しており、現在は10冊目の執筆にとりかかっている最中なのだとか。
「日本で北インド料理といえば、豪華なレストラン料理の情報ばかりが氾濫し、素朴な味わいの家庭料理についてほとんど語られていない状況だったんです。だったら、自分で書いた本を出そうと思ったのが、2015年に出した最初のミニコミ本『インド人直伝 北インドのおうちカレー』の上巻でした」
2020年はコロナ禍で海外へ渡航できない中、これまでの旅で調査してきた内容と、日本在住外国人シェフへの取材、さらに論文などの文献から得た情報を総合して、「ビリヤニの2割」を書き上げました。インド亜大陸のビリヤニはもちろん、中東や東南アジアで食されているビリヤニの仲間の料理について解説した幅広い内容の一冊です。そしてこの本がきっかけとなり、2021年に出版されたカレー研究家・水野仁輔氏監修の書籍「ビリヤニ」に、タイのカオモックや、サウジアラビアのカブサのレシピを提供しました。
そんな曽我部さんが注目する地のひとつであるラダックは、パキスタンや中国と未画定の国境線に接するインド領にあり、その食文化にはチベット、ネパール、インドなどの要素が混じっています。
食文化の比較や、相互の影響を考察するには絶好の土地なのだそう。
曽我部さんがラダックを訪れたのは2015年のこと。気になった食材のひとつは、モクトゥク(餃子のように小麦粉の皮で野菜や肉を包んだ食べ物でもあるモモのスープ)の仕上げに加えられていた「スコツェ」です。
スコツェは、ヒマラヤンチャイブとも呼ばれる植物を石臼でつぶし、水分を固く絞ってから干したハーブで、テンパリング(油で熱して香りを立たせること)してから使います。ネパール料理のダールなどに使う「ジンブー」とほぼ同じドライハーブだと考えられます。
「ラダックのモクトゥクに使われていたスコツェには、中国的な香味野菜の使い方と、ネパール的なスパイスの文脈の両方を感じて、とても興味深かったですね。さらに印象的だったのは、このスコツェから納豆のような香りがしたことなんです」
「もしかしてスコツェは発酵食品なのでは?」と考えた曽我部さんは、関連の論文をあたってみます。
残念ながらスコツェの製造に微生物は関与しておらず、発酵食品とは呼べないことがわかりましたが、ジンブーをスープモモに加えてみるなど、旅で体験した味わいを再現するべく、試作を続けています。
また、ラダックの発酵料理といえば、発酵バターやチーズなどの発酵乳が有名です。
牛乳などを加熱殺菌してから菌種を加えて発酵させます。すると、ヨーグルトよりも濃い、サワークリームのような物ができます。これを、専用の道具で攪拌すると凝固した固体と液体に分離され、この固体が発酵バター、液体がバターミルクとなるのです。そして、バターミルクを加熱して凝固させてできたカッテージチーズのような凝固物をさらに干し、「チュルペ」と呼ばれるドライチーズにします。
「ネパールのグンドゥルックやアチャールのような発酵した野菜の漬け物が、ラダックにはあまり見当たりません。その代わり、発酵乳が目立つ気がします。モモの中に詰める物に、チュルペを使ったチーズモモもおいしいですよ」
発酵バターと塩をミルクティーに加えて攪拌した、塩バター茶もラダック名物のひとつ。
「ラダックで飲んだ塩バター茶は、濃厚でワイルドな味わいでした。富山県でラダック料理のイベントを開催した際は、スキュー(すいとんのような物)やトゥクパ(うどんのような物)とともに、塩バター茶を提供したのですが、なぜか富山は珍しい外国料理に積極的な興味を持つ人が多く、塩バター茶も大勢の人が好んで飲んでくれましたね」
世界的なコロナ禍により現地に行けない状況は、やはり大きな痛手だと語る曽我部さん。
各国への自由な往来が可能になるまでは、ミニコミ執筆と、それに関連する拡張コンテンツを充実させていきたいと、その意気込みはまったく衰え知らず。今後も各国料理の新しい発見を届けてくれるに違いありません。
アジアを中心に世界を旅しながら、各国の料理を研究し、日本各地で提供するのがライフワーク。アジア料理の食事会やイベント企画、レシピ制作、ミニコミ制作などを行う「Neo Culture」を運営する。2021年4月に出版された水野仁輔氏監修の「ビリヤニ」にレシピを提供。著書に「ビリヤニの2割」「インド人直伝 北インドのおうちカレー」などがある。