世界を旅する料理人
モロッコの家庭の味と発酵調味料
「レモンの塩漬け」の使い方
2021/10/14
世界を旅する料理人
2021/10/14
モロッコの代表的な料理、タジンやクスクスは日本でもおなじみになりましたが、ここ最近注目されているのが、発酵調味料の「レモンの塩漬け」です。
東京・東北沢にあるモロッコ料理店「エンリケマルエコス」のオーナーシェフ・小川歩美(おがわあゆみ)さんから、モロッコ料理の魅力と、モロッコの発酵調味料であるレモンの塩漬けについて伺いました。
小川さんによれば、「モロッコ人は1週間のうち6日はタジン料理を食べ、残りの1日は粒状のパスタを使ったクスクスを食べています」とのこと。
「肉、魚、野菜、そしてスパイスやハーブの組み合わせによって、タジンの味のバリエーションは多種多様です。鶏肉や羊肉、牛肉といった肉と、季節の野菜をタジン鍋に入れて、蓋をして蒸し煮にするのが基本スタイル。
味つけは数種類のスパイスとハーブ、あとは塩くらいで、あまり手を加えません。地中海に面したモロッコは、野菜の種類が豊富で、素材そのものの味がしっかりとしているので、それだけで十分おいしいんですよ」
小川さんが初めてモロッコを訪れたのは、大学生のとき。それまでも休みのたびにバックパック旅行で世界中を巡っていたそうですが、卒業旅行として約1ヵ月間、1人で滞在しました。
「元々料理が好きだったので、いろいろな国の食堂で厨房の様子をのぞかせてもらっていました。中でもモロッコの人々は、快く厨房を見せてくれるばかりか、『我が家の料理はもっとおいしいよ!』と、ご自宅に招いてくれるんです。結局、1ヵ月の滞在中、1人で食事をしたのは3~4回くらいで、あとはだいたい現地で知り合ったモロッコ人のご家庭でご飯をご馳走になっていましたね」
そのときに出会ったモロッコの家庭料理に、小川さんは強い興味を持ちます。
「モロッコ人は食べ物に対してとても保守的で、外食するという習慣もほとんどありません。『家の料理が一番おいしい』と思っているんですよね。素材の味を活かすことを重視し、味つけは基本的にシンプル。私はスパイスが苦手だったんですが、スパイスを多用しているのに味が複雑でなくて、深みがあるモロッコ料理に驚きました」
大学卒業後は編集関係の仕事に就くも、合わないと感じて退職し、料理の道へ。料理家のアシスタントとして忙しく働く中で、かつて抱いていたモロッコへの思いが再燃。2004年にツテもなく、言葉もわからない状態で、単身モロッコに渡りました。
「初めは英語の通じるレストランを何軒か働きながら渡り歩き、そのあいだにアラビア語を覚えていきました。その頃、現地の料理番組を毎日見ていたんですが、それがとてもおもしろくて…。そこに出演していた料理研究の第一人者、Choumicha(シュミシャ)さんのもとに、半ば一方的に押しかけました。
熱意が通じたのか、最初は見習いでの採用でしたが、スタッフとして働けることになり、そこでモロッコ伝統の家庭料理から、フレンチやイタリアンの要素を取り入れたモダンなモロッコ料理まで、幅広く学ぶことができたんです」
小川さんの行動力が人の縁を引き寄せ、モロッコで充実した5年間を過ごしたのち、帰国後の2009年にお店をオープン。日本にいるモロッコ人が「故郷のお母さんの料理だ」と感じるような、本場そのままの味を再現しています。
提供している料理は、タジンやクスクスのほか、モロッコ人がラマダン(断食)明けに食べるという「ハリラ」というスープも人気だそうです。
モロッコで古くから使われている、伝統的な発酵調味料がレモンの塩漬けです。レモンの塩漬けとは、切り込みを入れたレモンに塩をもみ込み、1ヵ月から数年間発酵させた物。モロッコでは、日本でいう味噌や醤油のような存在で、各家庭で手作りするほか、市場でも売られているそうです。
モロッコのレモンは日本で一般的に流通している物とは違い、やや小ぶりで丸い形。酸味がマイルドで香りも強いのが特徴です。
「モロッコでは、レモンの塩漬けは調味料というより、肉などのにおい消しや香りづけとして使われます。昔は家庭ごとにオリジナルの物を作っていたそうですが、今は現地の人たちも市場で買うことが多いですね。お漬物や味噌みたいに、グラムいくらで売っているんですよ。
料理に用いるのは主に皮の部分で、漬け込んだ汁は使いません。皮を細かい千切りかみじん切りにしてタジン料理にパラパラと加えたり、果肉で鶏肉を揉み込んだり…。モロッコはイスラム教の国なので料理にお酒を使わないため、『料理酒の代わりに使う』と考えるとイメージしやすいかもしれませんね」
本場モロッコ仕込みのレモンの塩漬けの作り方を、小川さんに教えてもらいました。
「切り落とさないように注意しながら、レモンの片側の頂点から大きく十文字に切り込みを入れます。そして、その切り込みに粗塩をたっぷりと挟み、カットしたほうを下にして瓶に詰めます。ポイントは、『もう入らないかも?』と思ってもギュウギュウにレモンを詰め込むこと。私は、最後にパンチをお見舞いしてレモンを押し込んでいます(笑)」
その後は、しっかりと瓶に蓋をして冷蔵庫に入れ、1日に数回瓶の上下を返し、まんべんなく塩が行き渡るようにします。水分が出て完全にレモンが浸かったら、そのまま冷蔵庫で保存し、1ヵ月程経てば完成です。上手に漬けることができれば、数年間の保存が可能だそうです。
「漬け込んで3、4週くらいはまだフレッシュな感じがしますが、漬ければ漬けるほど皮がやわらかくなり、風味もマイルドになっていきます。レモンが空気にふれると傷みやすくなるので、私は瓶の内側にラップをかけています。モロッコでは油を注いでいる人もいましたね」
コロナ禍で海外との行き来が難しく、なかなか現地へ足を運ぶことができない中でも、小川さんの目はその先を見据えています。
「コロナ禍で休業していたあいだ、お寿司の専門学校に通っていました。モロッコで働き先を見つけるのに苦労したときに、『寿司が握れたらどのレストランでも雇ってもらえるのに!』と、くやしい思いをしたんですよね。何か思いついたときに、いつでも世界へ旅立てるように準備だけはしておきたいですから」
エンリケマルエコスをオープンして12年。「まだまだお店は続けていきますよ!」と笑顔で話してくれた小川さんですが、新たな食の旅も楽しみです。
モロッコに5年移住し、モロッコ人料理家Choumicha(シュミシャ)に師事。モロッコの料理番組や雑誌の調理ページでのアシスタントを務めながら、モロッコの郷土料理を学ぶ。2009年にモロッコ料理の台所「エンリケマルエコス」をオープン。オーナーシェフのかたわら、雑誌などの料理監修や、「家庭で楽しむモロッコ料理」(河出書房新社)など、書籍も手掛ける。