発酵人
未来の発酵人が集う!
醸造を専門的に学べる
「醸造科学科」とは?
2021/12/16
発酵人
2021/12/16
東京農業大学応用生物科学部には、全国の大学でも珍しい「醸造科学科」があります。ここでは、微生物による発酵をはじめとする日本古来の伝統技術のほか、最先端のバイオサイエンスを加えた幅広い教育と研究が行われています。
同大学の醸造科学科・調味食品科学研究室の前橋健二(まえはしけんじ)教授に、醸造科学科の魅力と、醸造技術を通して伝えたい未来の発酵人たちへの思いについて伺いました。
東京農業大学応用生物科学部醸造科学科(旧・農学部醸造学科)が創設されたのは1953年のこと。前橋教授によると、日本の伝統産業である醸造業の継承と発展を目指し、当時、全国の各醸造分野から選りすぐりの教授陣が集められたのだとか。
近年は、微生物を利用するすべての食品とそれらを取り巻く醸造環境、微生物を活用した技術革新などにも範囲を広げ、食を中心とした微生物利用産業の発展のため、研究と教育を行っているそうです。
「昔は職人と呼ばれる方たちの経験のみにもとづいて行われていた醸造も、現代のバイオテクノロジーを使えば根拠や仕組みを明らかにすることができるようになりました。目に見えない微生物という存在は、食料、環境、エネルギーといったさまざまな社会課題を解決する大きな力を秘めているんです」
醸造科学科には、微生物の総合的な知識や機能解析を習得する「醸造微生物学分野」、醸造物の原料から製品に至るまでの科学と技術について考究する「醸造技術分野」、食品産業を取り巻く環境を広範に扱う「醸造環境学分野」という3つの分野があります。
学生たちは、これらをすべて学んだ後、4年次に希望する分野の研究室に所属します。そして、カリキュラムの中でも特徴的で、学生たちが楽しみにしているのが、3年次に酒類と調味料の2つの分野で行う「生産学実験」です。
「これまで座学で身につけた知識の集大成となるのが、生産学実験です。酒類の分野では清酒や焼酎などを、調味料の分野では、米味噌や濃口醤油などを、実際に麹から造ります。また、3年次には選択制ではありますが、醸造科学特別実習というのもあり、卒業生の蔵に2週間程お世話になって寝泊まりしながら、実際に蔵人たちに製造工程を学ぶ体験ができるんです。
蒸した米に麹菌を繁殖させると、『こうじ』の日本古来の漢字である糀という文字どおり、ふわふわと花が咲いたようになり、微生物が生き物であることがわかります。発酵過程を実際に目で見て、手で作業して、その変化を調べ、完成した醸造物をみずから味わってみることで、座学とはまた違った大きな学びが得られます」
醸造科学科の3分野のうち、醸造技術分野にあたる前橋教授の調味食品科学研究室では、具体的にどのような研究が行われているのでしょうか。
「味噌・醤油に限らず、醸造の力で食べ物をおいしくする『調味料』を軸にした研究を行っています。そのためには、研究する本人が『おいしさ』を知らなければなりません。ですから学生たちにも、食事をなんとなくするのではなく、何を食べているのか、どんな味がするのかを、よく味わって食べることが大切だと伝えています。
おいしさというのは味を足すのではなく、食材から作るものだと僕は思います。発酵は、塩をかけたらしょっぱくなる、砂糖をかけたら甘くなるという、単純な味とはわけが違うんです。例えば、発酵した大豆の中からは、甘み成分やうま味成分だけでなく、酸味も出て、それらが複雑に絡み合いながらひとつの味が生み出されます。そのおいしさのメカニズムを解明するために、日々研究を続けています」
研究室では、麹菌などの微生物を利用した、新しい発酵食品づくりにも取り組んでいます。
「味噌や醤油、お酒に使われている麹も、少し手を加えることによって想像とは違う味が生まれ、微生物を遺伝子レベルで分析し、味の改良に活かすことが可能です。学生たちの中には、ピスタチオで味噌を造ったり、牛や豚などの肉から醤油を造ったりする子もいて、その発想の柔軟性にはいつも驚かされます」
前橋教授は、学内のサークル「和醸会」の顧問も務めており、発酵食品の食べ比べや勉強会、地方での醸造蔵巡りなど、「発酵食品を見る・作る・食べる」をモットーに、楽しみながら活動をされています。
「醸造科学科には結構個性的な学生が多いですよ」という前橋教授。では、醸造科学科には、どのような学生たちが通っているのでしょうか。
調味食品科学研究室所属の今井美優希(いまいみゆき)さんに、醸造科学科についてお話を聞きました。
「私は元々食べることが好きで、高校の先生から教えてもらい、調味料やお酒など、幅広く食品のことを勉強できる醸造科学科に興味を持ちました。授業では実験も多く、お酒づくりや調味料づくりなど、実際に手を動かすからこそ学べることがたくさんあります。
発酵食品の魅力は、微生物の力を借りて、食材の味や保存性を高められること。食品添加物などを使わずに、自然の力で食材をさらにおいしくできるところです。
実験では微生物を扱うので、思うように菌が生えてくれなかったり、逆に生えすぎてしまったりすることもあります。計画どおりに実験が進まないときは少し苦労しますが、それも含めて発酵のおもしろさだと感じています」
醸造科学科での学びを経て、発酵食品の見方が変わったという今井さん。市販されているお酒や調味料も、ラベルを見れば、どのように作られているかが理解できるようになったといいます。
「授業で清酒の製造工程などを学んでいたので、20歳になって初めて飲んだお酒の味は格別でした(笑)。日本に古くから伝わる発酵食品には、一般の方があまり知らないような魅力が本当にたくさんあるんです。卒業後は食品関係の仕事に就く予定ですが、将来は国内だけでなく世界に向けて、発酵食品のすばらしさを広く伝えていきたいです」
醸造科学科では、清酒をはじめとする酒類分野を柱に、多くの醸造業後継者を送り出し、日本の醸造界を支えてきました。今や、全国の蔵元の半数以上に東京農業大学出身者がいるといわれています。
前橋教授は、「醸造・食品業界における卒業生のネットワークも、醸造科学科の特徴のひとつ」と語ります。
「醸造科学科の卒業生の強みは、微生物の力を熟知し、適切に扱えることです。微生物は物を発酵させますが、腐敗させることもあります。良い面と悪い面、両方の知識は、世界のどんな業界においても非常に役立つはずです。
日本の食、さらには世界の食の未来にとって、醸造はなくてはならないものです。この学科で醸造学を学んだ卒業生が、人々の幸せのために、これからも世界中で活躍してくれることを強く願っています」
東京農業大学応用生物科学部醸造科学科教授。1994年、東京農業大学大学院農学研究科醸造学専攻修士課程修了。1998年、同農芸化学専攻博士後期課程単位取得満期退学。味噌・醤油・酢などの発酵調味料をテーマに、発酵における微生物の働きや成分変化、味と香りなど、多方面から研究を行っている。