美(うま)し国の食巡礼
もう一度、伊勢を心の故郷に!
お伊勢参りの歴史とおはらい町再生物語
2022/07/14
もう一度、伊勢を心の故郷に!お伊勢参りの歴史とおはらい町再生物語
美(うま)し国の食巡礼
2022/07/14
伊勢神宮内宮へと続く、宇治橋前の約800mのエリアをおはらい町といいます。このおはらい町の中程にあるおかげ横丁を中心に、江戸時代を彷彿とさせる町並みが広がり、そぞろ歩く観光客の姿も往時の賑わいをしのばせます。
一時は観光客が激減し、衰退の一途をたどっていたというこの鳥居前町の活気を取り戻したのは、伊勢の歴史をつぶさに見てきた地元老舗企業でした。今回は、おはらい町の再生物語と、お伊勢参りについて紐解いていきます。
おかげでさ、ぬけたとさ――。
江戸時代、多くの民衆が口ずさみながら伊勢神宮を目指しました。庶民にとって、お伊勢参りは一生に一度の念願だったといわれています。
約60年に1度あったともいう熱狂的な流行期には、主人や家族にも行き先を告げずに家を抜け出し、伊勢へ向かう人が続出。明治初期まで「御師(おんし)」と呼ばれる下級神官の館が立ち並んでいたおはらい町の人々は、伊勢神宮への参拝客を無償でもてなす「施行(せぎょう)」を行うことがみずからを高めると信じ、食べ物や金銭、時には宿泊場所を提供したといいます。
おはらい町は、全国から徒歩で参拝する時代に、年間200万人以上の人が訪れる一大観光地だったそうです。
ところが、明治以降、道路が整備され周辺地域の観光業が発達すると、状況は一変します。
おかげ横丁を運営・管理する株式会社伊勢福の広報、池田絢子(いけだあやこ)さんによると、「車や大型バスで伊勢神宮を訪れた観光客は、おはらい町に立ち寄ることなく近隣の鳥羽や志摩へと抜けていくようになります。1975年頃には年間来訪者が20万人まで激減し、『日本一滞在時間の短い観光地』という不名誉な称号がつけられるほどに衰退しました」とのこと。
これを危惧した和菓子屋の赤福は、おはらい町の活性化に向けた行動を開始。江戸時代の人々が心の故郷として目指した伊勢の空間と、訪れる人をもてなす心を取り戻すことが復活につながると考え、伊勢の伝統的な建築様式による町並みの再現に取り組みました。
その起点となったのが、おはらい町の中程、赤福本店の向かい側にあるおかげ横丁です。第61回神宮式年遷宮の年にあたる1993年7月に開業すると、徐々に観光客が戻り始め、2019年には590万人もの人が訪れるまでになりました。
おかげ横丁は、いわゆるテーマパークとは異なり、誰でも自由に出入りできる小さな町です。「これよりおかげ横丁」の立て看板はありますが、入場料は無料。おはらい町の一角にあった赤福本社ビルを取り壊し、その周辺の土地を買い取って得た約4,000坪の土地に、三重の名産品を扱う店や老舗店が所狭しと立ち並んでいます。
「おかげ横丁のお店を巡るだけでも楽しいのですが、ぜひ少し目線を上げて、建物の屋根にも注目してみてください」(池田さん)
おかげ横丁の建物は、伝統的な日本家屋の屋根形状である、屋根の両端が山形になった瓦の切妻屋根と、建物の妻面(端側)に入り口を設け、それを正面とする「妻入り」の 建築様式が基本です。神宮の正殿は入り口が平側(軒先側)にある「平入り」であることから、同じでは恐れ多いという思いから妻入りが普及したといわれています。伊勢の代表的な建築様式を間近で見られることも、おかげ横丁の醍醐味のひとつでしょう。
そんな町並みの中には、職人の遊び心もたくさんちりばめられています。
例えば、神棚・神具の製造や販売を行う「伊勢宮忠」の屋根瓦には、有名な伊勢音頭の一節「伊勢は津で持つ 津は伊勢で持つ 尾張名古屋は 城で持つ」と刻まれています。たどって行くと伊勢音頭が歌えるのもおもしろい工夫の一つです。
そのほか、屋根瓦の上に、縁起物や動物、お店を表す装飾などがあり、訪れるたびに新しい発見がありそうです。
「特に人気なのは、見ざる聞かざる言わざるで有名な、日光東照宮の猿にちなんだ、『よく見』『しっかり聞き』『たくさん話している』猿です。おかげ横丁にお越しの際は、ぜひ探してみてくださいね」(池田さん)
おかげ横丁が再現した町並みと、江戸時代のもてなしの心が息づく温かな接客は、開業からまもなく30年を迎えようとする今なお、人々の心を惹きつけ、地域の活性化に貢献しています。
日本一滞在時間の短い観光地と揶揄されたおはらい町も、おかげ横丁に牽引されるようにして伊勢神宮の参宮街道としての存在感を取り戻しています。
おかげ横丁とおはらい町は、お伊勢参りと鳥居前町の観光が一体化していた時代の再現に成功し、それによって地域の価値そのものを向上させた地方創生の稀有な成功例だといえるでしょう。
「私たちが目指すのは、伊勢の応接間。この場所で伊勢の歴史や風土を楽しんでいただくことで、周辺地域への人の流れを作り、伊勢全体を日本人の心の故郷として位置付ける役割を果たしたいと思っています」