発酵を訪ねる
松本十帖のローカル・ガストロノミー
薪火グリルダイニング「三六七」で
新しい発酵に出会う旅
2022/07/28
発酵を訪ねる
2022/07/28
2022年7月23日、長野県松本市に「松本十帖」がグランドオープンしました。
老舗旅館「小柳」を引き継ぎ、宿を中心としたエリアの再生プロジェクトで、1300年もの歴史を有する浅間温泉に建つ2棟の宿にはレストランや、ベーカリー、醸造所もあります。さらに温泉街には、地元の人との交流の場にもなる空き家を活かした2つのカフェ。
なかでもわたしたちが注目したのは、ローカル・ガストロノミーをテーマにした食事です。歴史や文化を引き継いで、未来へとつなげる「松本十帖」ではどんな“発酵”に出合えるのでしょうか。
「松本十帖」のある浅間温泉は、松本市街地から車で約10分ところあります。江戸時代にはお殿様や武士たちにも愛されていたという歴史ある名湯です。
この地で貞享3年(1686年)に創業した老舗旅館「小柳」を2018年に引き継ぎ、「松本十帖」を展開したのは、以前『日本の朝ごはん』で訪れた、新潟県南魚沼市の「里山十帖」も手掛ける、株式会社自遊人の皆さんです。
「『松本十帖』は、単なるホテルの再生ではなく、エリアリノベーションを目指すプロジェクトです。浅間温泉を訪れた方が、ホテルだけに留まることなく、街を回遊して地域の魅力も知っていただく。エリア全体の活性化も目指して、空き家を活用したカフェなども展開しています」
支配人の小沼百合香(こぬまゆりか)さんが言うように、レセプションは宿から少し離れた街の入り口にあるカフェ「おやきと、コーヒー」内にあり、物理的に距離をとることで、自然と街を歩きながらレトロな雰囲気を味わえる仕掛けになっています。
大正時代の建物をリノベーションした「おやきと、コーヒー」は、温泉街が全盛期だった頃に活躍していた芸者さんのお稽古場だった建物。地域の人々が利用できる共同場「睦の湯」も併設して、風情たっぷりです。
ゆっくりとチェックインを終え、「コーヒーと、おやき」から歩くこと約2分、湯坂通りの緩やかな坂を上った先に見えてくる2棟が「松本十帖」の宿です。
「松本本箱」の玄関を入ると目の前に広がるのが、本棚にぐるりと囲われた薪火グリルダイニング「三六七」です。
一風変わった名前の読み方は「サンロクナナ」。その由来は1年365日の信濃の「風土」に、「文化」と「歴史」の2つの要素を感じてもらいたいという思いから。また、長野から新潟にかけて日本海へと流れる「千曲川」と「信濃川」の総全長も367キロなんだそう。
「松本十帖」には、「三六七」のほかに、子ども連れのファミリーがくつろげる「ALPS TABLE」のふたつのレストランがあります。これらの両レストランのヘッドシェフを務めるのが石川大さん。
「イタリアで料理を学んでいたときに出合ったのが、地域の風土、歴史、文化を料理に表現する『ローカル・ガストロノミー』の考え方でした。松本十帖でも、地元の野菜や伝統食材を使った、ここでしか体験できない一皿を提供しています。すべては食材がベース。生産者の皆さんが届けてくださる野菜を手にしながら、長野の伝統食材と組み合わせたり、調理方法を考えたりと、メニュー開発も楽しんでいます」
「素材が本当に美味しいので、自然と料理も美味しくなるんですよ」
と笑って話す、石川シェフの作る料理は、それぞれの素材の魅力を最大限に表現したものばかり。
「今日のスープは、いわゆるとうもろこしの擦り流しです。味わい深くて美味しいコーンそのものを十分に味わっていただきたいと考えました。トッピングには薪火で焦げ目をつけて香ばしく仕上げたコーンと、アクセントに発酵じゃがいものフライを添えてあります」
コーンの甘さをより引き立てるトッピングの「発酵じゃがいも」は旨味と酸味が凝縮した濃厚な味わいで、その美味しさに取材スタッフ一同が驚いたほど。
メインの一皿は、菅平高原「ダボス牧場」で育った黒毛和牛の熟成肉の薪火焼き。「三六七」の最大の特徴とも言える、薪火を使った一品です。
「バーナーで焦げ目をつけるのとは、香りが全く違うんですよ。熟成させたことでナッツのような香り高いお肉の旨味を引き立ててくれます。コクのある黒ニンニクのソースと自家製のザワークラウトを使ったピューレを添えて仕上げました」
マッシュポテトのような存在感を放っていたのが、まさかザワークラウトのピューレだったとは、再び驚きです。フレッシュなオリーブオイルの苦味とザワークラウトの酸味で、お肉料理をさっぱりとした一皿にまとめ上げる名脇役でした。
味の決め手に「発酵じゃがいも」や「ザワークラウト」などが使われていましたが、発酵食品は酸味や塩味、旨味があり、味を整える食材としても優秀なんだとか。しかし石川シェフは、とりわけ発酵を意識したメニュー作りをしているわけではないのだそうです。
「ローカル・ガストロノミーを実現するためにも松本に来てから、長野の食材や食文化を勉強しました。冬は特に保存食が多く、自然と発酵食品が身近な食材なんですよね。ですから、発酵食品は特別なものというよりも当たり前にあるものだったんです。最近では自分たちでも、味噌作りをしたり、地元の果物で果実酒を作ったりと、いろいろな発酵食品に挑戦もしています」
なかでも力を入れているのが、中庭に建ち並ぶ蔵を改装した「信州発酵研究所」で製造している、地元の減農薬で栽培されたリンゴを使ったオリジナルの「シードル」です。リンゴの特徴に合わせた醸造方法を試行錯誤し、2021-22シーズンは5種類が完成。タンクで熟成させ、瓶詰めした後に二次発酵させたシードルは、生き生きとした酵母の風味豊かなオトナな味わいで、食事との相性も抜群です。
自家製のシードルのほか、朝食メニューで人気の味噌味のグラノーラなどのオリジナル商品は、「松本本箱」の隣の棟、「小柳」の1階にあるショップ「浅間温泉商店」で購入もできます。
最後に、“十帖”が「10の物語」という意味を持つように、さまざまな魅力がたっぷりと散りばめられた「松本十帖」の魅力をご紹介します。
その昔、武士たちが温泉に通ったという道を歩きながら、歴史に触れる散策も楽しい温泉街で、驚きと発見がたくさん詰まったローカル・ガストロノミーに舌鼓を打つ……。
伝統と文化を引き継いで次世代に繋ぐ「松本十帖」は、訪れるひとそれぞれにも物語が生まれる場所。“発酵”文化を訪ね歩く私たちにとっても、新しい魅力を再発見した旅になりました。