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発酵を訪ねる
人と人、心と心をつなぐ酒。
「鍋店」の酒づくりと町おこし
2022/12/01
発酵を訪ねる
2022/12/01
鍋店(なべだな)株式会社がすべての工程を自社スタッフで担う酒づくりを始めたのは、1997年のこと。以来、25年余り、早朝から全員が心をひとつにして、日本酒を好む人の心をつなげる酒造りを続けています。
今回は、県内で最も人口の少ない町である神崎町が「発酵の里」と呼ばれるきっかけとなった「発酵の里 こうざき酒造まつり」の発起人で、道の駅「発酵の里 こうざき」誕生にも深く関わってきた、鍋店株式会社第19代蔵元の大塚完(おおつかかん)さんに、老舗の酒づくりと神崎町が描く未来についてお話を伺いました。
午前8時、千葉県香取郡神崎町(こうざきまち)の国道356号沿いにある、白壁に大書された「仁勇」の文字の建物内では、活発に動く人の気配がします。もうもうと上がる湯気、急ぎ足で行き交う白い上衣、どこからか聞こえる水の音…。酒蔵の朝は早いのです。
鍋店の創業は1689年(元禄2年)、5代将軍綱吉の時代にさかのぼります。
「当時の佐倉藩から酒蔵株を与えられ、最初は成田山新勝寺の門前で酒造りを始めました。『鍋店』という独特の屋号は、鉄類の製造権利がある組織に与えられる『鍋座』の称号と、老舗を表す『お店(たな)』が結びついて生まれたと聞いています」と、当時掲げられていた看板を見上げながら話すのは、第19代蔵元の大塚完さん。
大塚さんはアメリカの大学を卒業し、日本の商社を経て1993年に酒蔵を継ぎました。
「若い頃は、酒蔵を継ごうとはまったく思っていなかったんですよ。バブルまっただ中で就職しましたから、世界中のホテルやゴルフ場の買収、リゾート企業の立て直しなどで、世界中を飛び回っていました」
会社員として脂がのり始めたちょうどその頃、酒蔵は難しい時期を迎えていました。バブル経済も崩壊し、日本酒の消費量が減少の一途をたどり、会社全体の売上も大幅に下がり始めたときに、いとこの専務から「一緒にやって行こう」と誘われ、蔵をつぶすわけにはいかないという気持ちで継承を決意したそうです。
蔵を継いだ大塚さんが最初に着手したのは、「個性のある酒づくり」。
数ある地方の蔵元と同じ大衆酒を造っているだけでは、売上の増加は見込めません。それならいっそ、自分たちの手で一からお酒を生み出し、それを価値として提供してはどうか。そう考えた大塚さんは、酒づくりの責任者でもある杜氏を置くのをやめ、完全自社生産への切り替えを実行します。
今でこそ、杜氏に依存しない酒づくりをする酒蔵は珍しくありませんが、1990年代の終わりにはかなり先進的な考え方だったといえるでしょう。従来の酒蔵では、豊富なノウハウを持つ新潟県を中心とした越後杜氏や、岩手県を中心とした南部杜氏といった杜氏集団から杜氏を雇い、その指揮の下で酒づくりを行うのが一般的だったのです。
大塚さんの酒づくりへの挑戦は、1997年、社員4名でスタート。8割程は普通酒を造りつつ、高品質市場に的を絞った限定流通酒「不動」を生み出します。特約店でしか売れない限定流通品によって、大手企業との価格競争を避けつつ、自社のブランド価値を高めるという狙いがありました。
いずれも、民間企業で経験を積んだ大塚さんならではの、固定観念にとらわれない自由な発想ゆえのチャレンジだったといえるでしょう。2000年前後に顕在化する、高齢化や後継者不足による杜氏不足、卸売業や小売業の衰退といった酒蔵を取り巻く問題を予見したかのような、鮮やかな一手でした。
ここからは、鍋店株式会社の酒造りの現場から、酒づくりの基本的な流れについて見ていきましょう。
精米し、良く洗って、1時間かけてゆっくりと水を吸わせる、浸漬を行います。酒造りに使われる酒造好適米は、地元千葉県の「粒すけ」「総の舞(ふさのまい)」をはじめ、北海道の「彗星」、秋田県の「秋田酒こまち」、山形県の「出羽燦々(でわさんさん)」などさまざま。米の特徴や精米度合いによって、浸漬の時間も変わります。
大きな釜で米を蒸し上げます。仕上がりと同時に従業員が集合し、桶に移した蒸米を駆け足で運んでいきます。
息の合った作業です。蒸米は麹になったり、酒母になったり、もろみになったりします。
従業員の手で2階の板敷に運ばれた蒸米は、すのこの上のガーゼに広げられ、冷やされます。
熱々の米を広げる作業は素早さが命!広げ終えた人はすぐさま階段を駆け下り、次の蒸米を運び続けます。
仕込み水を入れたタンクに、麹米、乳酸、酵母と、先程熱をとった蒸米を投入して仕込みは完了。最適な温度を保てるよう管理しながら撹拌し、酵母の増殖した酒の元が造られます。
酒母をタンクに移し、仕込み水、麹米、蒸米を投入。もろみを仕込みます。20日から30日かけてゆっくりと発酵・熟成させていくもろみからは、混じりけのないお酒の香りが漂います。
熟成が終わったら、圧搾機、もしくは手絞りでお酒と酒粕を分けていきます。手絞りは時間がかかりますが、繊細な仕上げをしたいときに欠かせない手法です。
加熱・殺菌したお酒は、サーマルタンクや冷蔵庫で半年以上貯蔵されます。瓶にお酒を詰め、ラベルを貼ったら出来上がり。たすき掛けのような斜めのラベルは、手作業で丁寧に貼っていきます。
酒蔵の手前にある直営店「鍋屋源五右衛門 こうざき東蔵店」では、「仁勇」「不動」をはじめとしたたくさんの製品を試飲でき、自分好みの味を探しながら購入ができます。
「仁勇」「不動」だけでも豊富な種類があり、ザ・日本酒ともいえるガツンとした辛味とコクのある酒から、優しい甘味を感じる酒、フルーティで口当たりが良い酒まで、味わいはさまざま。日本酒の可能性に心が躍ります。
そんな日本酒の魅力、そして神崎町の魅力を知ってほしいと大塚さんが働きかけ、2009年から神崎町と一体になって開催しているのが「発酵の里こうざき 酒蔵まつり」です。
神崎町には「鍋店」のほか、「寺田本家」という酒造メーカーがあり、従来はそれぞれが新酒の季節に酒蔵祭りを開催していました。発酵の里こうざき 酒蔵まつりとして統合し、県内外から人を呼べるイベントとして町おこしにつなげる取り組みを発案したのです。
「初回から、驚くほどたくさんのお客さんに来ていただきました。店の前の大通りに野菜の直売や軽食の屋台が並び、神崎町をまるごと楽しんでいただけるイベントとなっています。当店も最初は手探りでしたが、少しずつ皆さんに喜んでいただけることがわかってきて、試飲だけでなくトークショーやライブをしたり、日本酒に合う酒の肴を用意したり…。2019年からはコロナ禍で開催を見送っていますが、1日に5万人もの人が訪れる大きなイベントに育ってくれました」
祭りが大盛況に終わったことをきっかけに、発酵をコンセプトにした町づくりが始まり、2015年には発酵がテーマの道の駅「発酵の里 こうざき」が誕生しました。実は、当時の町長と連携して道の駅の立ち上げを牽引し、初代駅長を務めたのが大塚さん。神崎町に脈々と受け継がれる発酵文化を軸にした、個性豊かな賑わいの場の確立に力を尽くしてきたのです。
進化する道の駅「発酵の里 こうざき」で買って、味わって、もっと知りたくなる発酵の世界
「神崎町は小さな町ですが、町に秘められたポテンシャルは高いんです。今後も引き続き、自社だけでなく神崎町全体の活性化につながるようなイベントを開催していきたいですね。今年は鍋店の敷地内に、食品としての米こうじを安定的に製造できる『麹House』も完成させました。予約いただければ麹づくり体験も可能です。神崎町の発酵ツーリズム、酒蔵ツーリズムの一環として、より多くの方が発酵を身近に感じるきっかけになればうれしいですね」