ゆたかな暮らしの歳時記

人々が願いを込め、楽しみながら
変化してきた上巳の節供「雛まつり」

2023/03/02

3月3日は、桃の節供とも言われる「上巳(じょうし)の節供」。お雛様を飾る、ちらし寿司を食べるなどして楽しんでいる人も多いのではないでしょうか。「上巳(じょうし)の節供」はいつから、どのように始まり、現代のようになったのでしょうか。食文化研究家の清絢(きよしあや)さんに、お話を伺いました。

紙の人形(ひとがた)から
段飾りへ
きらびやかに移り変わる雛人形

雛まつりの日として馴染みのある33日は、五節供の一つ「上巳(じょうし)の節供」でもあります。五節供は、月と日が同じ奇数で重なる日は厄日であると考えた古代中国の習わしが起源です。
17日、33日、55日、77日、99日は、古くからさまざまな厄払いが行われてきました。17日に七草粥を食べたり、55日にかぶとを飾ったりするのも、厄払いが転じて現在でも行われている風習です」と清絢さん。

食文化研究家の清絢さん

五節供の風習は中国から平安時代の日本へと渡り、貴族たちの間で行われるようになりました。
「日本には、紙でつくった人形(ひとがた)で自分の体をなでて穢れを移し、川に流して厄祓いをする風習があったのですが、それが3月3日の上巳の節供にも行われるようになりました。また、厄祓いの一方で、『曲水の宴』といって川の上流から盃を流し、通り過ぎる前に歌を詠む風雅な遊びも行われ、貴族のあいだで盛んになりました」

平安時代は、紙製の人形(ひとがた)でしたが、時を経て、布になり、綿入りの人形となり、現代の雛人形の姿へと変化していきました。今でも鳥取県や和歌山県などでは、「流し雛」という人形を川に流して無病息災を願う、かつての厄払いを彷彿とさせる行事が行われています。

『雛人形』(1857)美しい雛人形の姿とともに、白緑白の三段重ねの菱餅が描かれている。
国立国会図書館デジタルコレクションより

段飾りなどの美しい雛人形が登場したのは、江戸時代後期になってからのことです。
「江戸時代になって、端午の節供が男の子の成長を願い健康を祈願する日とされ、武者人形や鯉のぼりが広まると、一方の上巳の節供は女の子の節供と言われるようになりました。江戸後期の1800年代には、この日にあわせて人形市などが開かれるようになりましたが、豪華な段飾りの雛人形が一般の家庭に広く普及したのは、明治時代に入ってからのことです」

『東京風俗志』(明治34)明治時代には豪華な段飾りが広まった。
国立国会図書館デジタルコレクションより

江戸時代に大流行した白酒と
緑と白の菱餅

上巳の節供が、桃の節供といわれるようになったのは、この日に桃の花を浮かべたお酒「桃花酒(とうかしゅ)」を飲むと、難を逃れる、病を退けるといわれていたことに由来します。古代中国で桃は邪気や厄災を払い、長寿をもたらす神聖な果樹だと珍重されました。そのため、平安時代の貴族たちは、3月3日に桃花酒を好んで飲んだそうです。
私たちに馴染みのある白酒を飲むようになったのは江戸時代になってからのことだと清さんは言います。

「江戸時代に、東京・鎌倉町の酒舗 豊島屋が、上巳の節供の時期に白酒を販売し、庶民の間で大変人気になりました。その様子は、江戸時代の風俗を表す文献などにも登場しています。一説には、海が荒れ、物流が滞りやすい時期だった2月下旬は、お酒も不足しやすかったことから、もち米と米糀をみりんに仕込む白酒が考案されたともいわれています」

のちに子どもたちも飲めるようにと、白酒同様に白く、アルコールを含まない、甘酒を雛まつりに飲む風習も生まれました。

『江戸名所図会』(1834-36)白酒を商う豊島屋酒店の賑わい。
国立国会図書館デジタルコレクションより

雛まつりに食べる和菓子として知られる菱餅が誕生したのも、江戸時代初期とされます。それまでは、みずみずしい新緑の活力をいただこうと草餅を食すのが主流でした。平安時代は七草のごりょう(おぎょう・ははこぐさ)を加えて丸めた草餅でしたが、江戸時代初期になるとよもぎの草餅が主流に。江戸後期になり、菱形のお餅を三段に積んだ菱餅が登場したそうです。

『守貞謾稿』(1837)に描かれた菱餅といただき。
国立国会図書館デジタルコレクションより

「菱形の理由には諸説あり、心臓を表す、邪気を祓う矢尻を模している。また、陰陽道で菱形は女性を象徴することから、こうした形に変化したともいわれています。江戸時代の菱餅は、緑白緑の三段が多く、今のように、緑・白・ピンクの三色になったのは明治時代に入ってからのことです。ほかにも、和歌山県では黄色・白・緑の菱餅が見られたり、愛媛県今治では鏡餅の上に菱形の餅を置き、桃の枝を指すなど、地域色豊かな菱餅もありました。また京都ではいただき(あこや・ひちぎり)といったお菓子が並びました」

時代、地域を映す歳時を
楽しみながら続けていく

千葉県 鴨川市 太巻き祭り寿司

雛まつりになると、雛あられを食べたり、はまぐりのお吸い物が食卓にあがるという家庭も多いかもしれません。そうした食文化も地域や時代ごとに変化してきたと清さん。

「潮干狩りの季節であること。川や海に厄払いに行く風習があったことから、古くから上巳の節供には貝が食べられてきました。種類は、はまぐりに限らず、あさりやさざえ、たにしなど地域ごとにさまざまでした。たにしをぬた和えにして食べる地域もありました」

それが次第に貴族の遊びである貝合せなどと結びつき、はまぐりのお吸い物が定番化していきました。また、雛あられも江戸時代にはすでに食べられていました。

「雛あられも地域によってさまざまで、関西はあられ、関東ではポン菓子を甘くしたものが一般的のよう。また、愛媛県にはポン菓子とピーナッツを合わせたおこしに似た「ひな豆」があります。ういろうに似た岐阜県の『からすみ』や、新潟県 佐渡ヶ島の『おこしがた』も、雛まつりの和菓子として知られています」

新潟県 佐渡ヶ島の「おこしがた」

現在では、春らしさも感じられる華やかなちらし寿司やかざり太巻き寿司をつくったり、ケーキを用意するなど、さまざまな方法で雛まつりが祝われています。

「ほかの五節供同様、上巳の節供もまた、時代とともにさまざまな変化をしながら、私たちの暮らしに根付いてきた歳時です。伝統的な祝い方や食事にこだわりすぎず、季節の移り変わりを楽しみながら、過ごしていただけたらと思います」

食文化研究家

清 絢 (きよし あや)さん

食文化研究家

清 絢 (きよし あや)さん

専門は食文化史、行事食、郷土食。主な著書に『和食手帖』(共著、思文閣出版)、 『ふるさとの食べもの』(共著、思文閣出版)、『食の地図』(帝国書院)など。近著に『日本を味わう 366日の旬のもの図鑑』(淡交社)がある。一般社団法人和食文化国民会議 幹事。農林水産省、文化庁、観光庁などの食文化関連事業の委員を務める。