発酵を訪ねる
【前編】
富士の天然水と山梨の豊かな素材で醸す日本酒とワイン。
山梨の酒蔵、笹一酒造の
100年先を見つめた時代に合わせた酒造り。
2024/01/11
発酵を訪ねる
2024/01/11
山梨の自然が育む富士御坂の水と土で醸した、唯一無二の日本酒とワインがあります。醸造するのは「笹一酒造」。創業は、1661年(寛文元年)という歴史のある蔵元です。宿から始まり、味噌や醤油、酒なども醸造していた「花田屋」を引き継いだ初代蔵元が、1919年に現在の「笹一酒造」に改名。2013年には大量生産方式を全廃し、麹造りと酒母工程を手作業で行う伝統的な酒造りの工程を採用する一方で、海外に積極的に進出し、世界からも注目を集めています。360年という伝統を重んじながら、新しいことにも果敢に挑戦していく5代目天野怜さんに、2020年にリニューアルオープンした直営店「酒遊館」で、こだわりの日本酒やワイン造りについてお話を伺いました。
山梨県で唯一、日本酒とワインの両方を醸造している「笹一酒造」。江戸時代には、甲州街道の宿場町として栄えた歴史がある土地、大月市笹子町に1661年に花田屋として創業。1919年に現在の名前「笹一」に改名されました。
「笹一の“笹”には日本酒の意味があり、“一”は日本一を目指すという思いが込められています。三種の神器のひとつの『八咫鏡』に縁取られたロゴマークも、1919年以来使われ続けてきたもの。当時の想いを、現在に伝え表してくれています」
そう語るのは、5代目として「笹一」を牽引する、天野怜さんです。
花田屋を受け継ぎ、「笹一」と名付けたのは怜さんの曾祖父である久さんでした。しかし怜さん自身は、もともと家業を継ぐ予定ではなかったのだそう。
「従兄弟が社長だったのですが、若くして亡くなり、私の父が家業を継ぐことになったんです。当時、私は山梨から離れていたのですがのちに戻ってきました。この場所は小さいころから親戚の集まりなどでは必ず訪れていたので馴染みのある場所。長年続いてきた大切な家業を受け継げるのは嬉しいことですし、大切なことだと思いました。実際の酒造りは杜氏をはじめとした現場の職人たちが行いますが、どのような酒造りを行なうかという方針は、“一族だったらこういう酒をつくるんだろな”という勘。それが長年続いてきた笹一のお酒を造りつづけるための、今の1番の判断基準になっています」
2013年、怜さんは先代とともに笹一酒造に大きな改革を起こしました。それまでの大量生産方式から、麹造りと酒母工程を手作業で行う伝統的な製法に戻すという決断です。
「世界中どこでも通用するようなお酒を造ろうと思いました。背景には、日本の人口減少で国内消費が減ってきたこともありますが、東京のベッドタウンだった山梨が、富士山の世界遺産登録などもあり、急に世界的な観光地になったことも大きな理由のひとつです。世界の基準に合わせるためには、量ではなく質を高めることが必要。蔵で古くから使われてきた、大量生産用の機械をすべて交換しました」
伝統製法に立ち戻ったタイミングで、立ち上げた新ブランドがありました。名前は「旦(だん)」。
「『旦』の文字には、富士山の山頂からの日の出という意味があるのですが、この一文字で日本一の酒造りを目指した『笹一』が表現したいことと同じ。目指したのは、究極の食中酒でした」
究極の食中酒とは、酒の個性を際立たせるのではなく、米の純粋な味の表現を念頭に、香りと味わいの調和を重視したお酒だといいます。こだわりぬいて造られた「旦」は、ブリュッセル国際コンクール SAKE selection2018 プラチナ賞を皮切りに、世界が憧れる日本酒78にてパーカーポイントを91点も獲得するなど、数々の国際コンクールに入賞。また、2022年にはフランス発の世界的な日本酒コンクールKura Masterでプラチナ賞を受賞するなど、一気に国際的に注目を集めることになりました。
そこには、醸造方法だけではない、「笹一」ならではの強みがあると言います。
「私たちが日本酒の酒造りで特に大切にしているのが水。自家井戸から湧き出る富士山を起点とする天然水を、日本酒の原料となる仕込み水として使用しているのですが、この水はその昔、明治天皇が京都に携行した『御前水』と呼ばれる由緒正しい銘水なんです」
なぜ、この場所で銘水が生まれたのでしょうか? その秘密は笹一酒造のある土地の地質に隠されていました。
「笹一酒造があるのは、富士御坂と呼ばれる地域なのですが、とても古い歴史を持っている土地なんです。実はここの場所は、小笠原諸島がプレートで移動してきたときに、ユーラシア大陸と衝突してできた場所。海のない山梨県ですが、裏山に古代海洋生物の化石が出ることも。小笠原の地下と同じく火山地質なんですよね。火山地質は隙間の多い溶岩でできているため、雨水は濾過されながらストンと落ちるんです。貯まるのは不純物を含まない純粋な軟水。この水を汲み上げて、私たちは仕込み水として使用しています」
さらに、火山地質の水はけの良さは、ワイン造りも可能に。
「笹一は、山梨のなかでもワイン醸造の歴史は長く、実は70年になるんです。火山地質という水はけの良い土地は、ワインに使うぶどう栽培に適した環境なんです。この土地のおかげで、私たちは長い間、“水で日本酒”、“土でワイン”を造り続けられたのです」
製造方法を見直し、販路を世界にも広げ、今や世界でも注目される日本酒に。伝統を受け継ぎ、新しいことにも挑戦し続ける怜さんの原動力は、「時代に合わせた酒造りをすることで、100年、200年と続けていきたい」という想い。
「先人たちも、時代に求められる酒造りをしてきたから、今があると思うんです。ですから、私も今の時代には何をするべきかを考えています。もともと食堂と小さな直売所があったこの場所を、若い方や外国からの観光客のみなさんが気軽に立ち寄れるよう、カフェを併設した『酒遊館』として、建て替えたのもそのひとつでした」
取材に訪れたちょうど前の週、新酒祭りが行われていました。日本酒の初しぼりの時期とワインのヌーボーの時期が重なるため可能な、笹一酒造ならではのイベントです。
「毎年多くの方に集まっていただいています。『旦』のコンセプトで食中酒へのこだわりをお話ししましたが、笹一のお酒には食事は欠かせません。そこで、山梨県内で活躍されているシェフのみなさんに協力いただいて、フードペアリングも楽しんでいただきました。そうやって、山梨の食と酒の魅力をもっとたくさんの方に知ってもらえたら嬉しいですね」
後編では「酒遊館」の魅力をたっぷりとお届けします!
【後半に続く】