発酵を訪ねる

海街の糀屋の春夏秋冬
米の花でいただく春の甘酒

2024/06/06

神奈川県茅ヶ崎市というと、湘南の海をイメージする人も多いと思いますが、車で少し走ると、のどかな風景が広がる街でもあります。糀屋「米の花」を訪れたのは、畑の菜花が鮮やかな黄色い花を咲かせる春の日でした。2019年からこの地で糀屋を始めたというご主人の熊澤弘之さんにお話を聞きました。

手間ひま惜しまず
昔ながらの製法でつくる米糀

茅ヶ崎の駅から車を走らせて数分、瓦屋根の素敵な建物が見えてきました。看板には「米の花」の文字があります。建物の戸を開けると、ご主人の熊澤弘之さんがにこやかに中に招き入れ、まずは奥にある糀室を案内してくれました。

米の花ができたのは、2019年のこと。まだ新しい糀屋ですが、昔ながらの道具を使って、糀づくりを行っていますと、熊澤さん。

糀屋「米の花」のご主人、熊澤弘之さん

「これは、甑(こしき)という米を蒸す道具です。釜に水を張って、ガスで火を付けてお湯を沸かし、その上に桶を置きます。桶の中には布を張って米を置き、下からの蒸気で米を蒸していきます。多くてだいたい120キログラムぐらいの米を蒸すことができます」

釜の上に桶を乗せて、米を蒸す道具、甑(こしき)。桶は小田原の桶辰でつくったもの

熊澤さんが見様見真似で手づくりした湯気を全体に行き渡らせるための“こま”

米が蒸し上がったら糀箱に移動し、糀菌をつける種切りの作業に進んでいきます。

「冷まして種切りをして、糀菌がついた米を糀蓋(こうじぶた)と呼ばれる容器の中に入れて、途中で積み替えなどをしながら菌の様子を見て、丸1日置きます。蒸し上がってからだいたい2日弱ぐらいで糀ができますね」

糀菌がついた米を入れて寝かせる糀蓋

これらの作業をすべて一人で行っている熊澤さん。かなりの重労働だが、糀屋を始めるなら、昔ながらの方法でつくりたいという思いがあったと言います。

「もちろん選択肢はいろいろあったんですけど、せっかくなら昔から行われてきた方法で、と思いました。工場化して楽につくるのは、僕がわざわざやらなくてもいい。今から始めるなら、この規模で、手間ひまを惜しまないやり方がいいんじゃないかと。そのほうが色気もあるし(笑)、何より甑(こしき)で蒸して糀蓋製法でつくると、質の良いものができるという情報にたどり着いて。それなら、これでやっていこうと思ったんです」

米は、近隣の農家さんがつくる茅ヶ崎の米を使い、糀菌は茨城の“もやし屋”と呼ばれる種糀(糀菌)を扱うお店から取り寄せています。

「一口に糀菌といっても、その種類はさまざまあります。始めた当初は、いろいろな糀菌を試しましたが、今ではこれだと思うものに落ち着きました。うちの糀菌の特徴は、もやし屋さんに言わせれば、暴れん坊。割と元気なタイプです。分解が早いため、もやし屋さんには『これは止めておいたほうがー』と、当初は止められました。でも最近は、彼ら(菌)のこともよくわかってきたというか、性格がわかって安心してつくれるようになりました。この糀菌は元気で早く発酵するというのもあるんですが、何よりおいしいんです。60年間、自分で味噌をつくっているっていうお客さんが、うちの糀に変えて味噌がおいしくなったって。そういう話を聞くとうれしいですよね」

熊澤さんは、本当にうれしそうな表情でそう話してくれました。

糀づくりは人生をかけて
やるだけの価値がある

米の花を始める前は、企業に勤めていたこともあるという熊澤さん。糀屋を始めることになったきっかけは何だったのでしょうか?

「会社に通いながらも、何をして生きていこうと深く考えた時期があったんです。そのとき、“もっと素敵な社会と生き方”について考えるNPO法人BeGood Cafeというところと縁ができて。仕事をしながら、手伝うようになりました」

転機があったのは、2005年愛知万博が開催されたときでした。万博内のNPOビレッジで、自然や循環をテーマにしたカフェをつくらないか?とBeGood Cafeに持ちかけられたそうです。

「そのカフェは、私たちが畑や田んぼでつくった収穫物を使って料理を提供し、出てくる汚水などは植物の力で浄化させる。エネルギーも風車などを使ってつくり出すというものでした。やってみたいと思ったのですが、そのためには、仕事を辞めなくてはいけません。辞めて万博が終わった後はどうしようと考え、思いついたのが、万博でつくったカフェの続きを、当時使っていなかった祖父の家で始めてはどうかということでした」

実際には、行政による土地の利用規制で、その場所に常設カフェをオープンさせることは叶いませんでしたが、代わりに体験農園を開きました。現在、米の花とともに、熊澤さんが奥様といっしょに経営するRIVENDEL(リベンデル)です。

RIVENDELのコンセプトは、暮らしを育てる農園。野菜をつくるだけでなく、おいしく食べることを大事にしたいと思いましたし、キッチンもあるから、加工品もつくりたいと考えました。そこで、大豆をつくって、麦もつくって、味噌づくりをしたり、醤油をつくったりを始めたんです。実際に、味噌や醤油を手づくりにすると、妻の体質が変わって、調子がよくなったり、友だちにあげたらすごく喜ばれたからもっとほしいという話になったり。そうするうちに、糀屋さんが必要だと思うようになりました」

旅先などで、糀屋のある町っていいなと考えていたことも、自分で糀屋をはじめるきっかけの一つだったと熊澤さん。

「糀屋がある町は、水がきれいだったり、米どころだったりします。それに、糀屋が成り立つということは、味噌や醤油を手づくりして、暮らしを豊かにしている人が住んでいるということでもありますよね。糀のつくり手も、消費者も、自分で価値を作り出している、そういう人の集まる地域にもなる。糀屋があるだけで、すごく広がりがあると思ったんです」

そこで当初は、知り合いの酒蔵に依頼して、糀をつくってもらえないか打診したそうです。でも、返答は、「うちではちょっと難しいから、自分でやってみたらどう?」ということだったと、熊澤さんは振り返ります。経験がない人が急に始めようと思うには難しいのではないかと想像しますが、意外にも熊澤さんは、「じゃあ、やってみようかな」と思ったと言います。

「たぶん待っていても、誰もやらないなと思ったんです。パン屋さんとか美容院とかカフェは、待っていれば誰かがやってくれるかもしれない。でも、糀屋って、できないよなと。だったら、自分でやってみようと思いました」

そこには、ずっと持っていた「死ぬまで町の役に立っていたい」という気持ちもあったそうです。

「毎日、何かを積み重ねていく仕事をしたい。たとえそれが、薄い紙のような厚みだったとしても、一つひとつと積み重ねていきたいと、思っていました。人間国宝のような、年齢を重ねた職人さんたちを見ていると、年をとって体力が落ちたり、思考判断が落ちていったとしても、積み重ねた経験があって、すごいじゃないですか。そういう仕事をして町の役に立ちたいと。糀づくりってそうなれる仕事なんじゃないかと思いましたし、人生をかけてやるだけの価値があるのではないかと思ったんです」

その後、実際に糀づくりを習ってみると、炊いたお米の香りが空間いっぱいに漂い、幸せな仕事だと感じたと熊澤さん。これなら続けていけると、思ったそうです。そして、さまざまな人の手を借り、ご自身も手を動かして、桶などの道具をつくり、糀室を建て、ついに2019年、米の花はオープンしました。

庭で採れた金柑やくるみの甘酒と
自然が教えてくれること

米の花では、糀や塩糀、甘糀を持ち帰ることができます。また、店内では、「糀色々(甘糀四種飲み比べ)」を食することができます。私たちも、色鮮やかな黄色い花を咲かせる菜花や、柿の木の瑞々しい新芽を窓の外に眺めながら、「糀色々(甘糀四種飲み比べ)」をいただきました。

さまざまな糀の味を楽しめる「糀色々(甘糀四種飲み比べ)」

「スプーンにのっているのが、糀の量が通常の2倍の『贅沢味噌』。その奥が、前の畑で採れた人参を塩糀に漬けたもの。それから、竹の器が糀とお水でつくった甘糀です。あとは、季節ごとに異なるものを用意しているのですが、今日お出ししているのは、小豆、金柑の皮、くるみと糀をそれぞれ発酵させた甘酒です」

そうご案内いただき、一つずつ口に運ぶと、味噌はとても香りがよく、人参はまろやかな塩味がきいていて、とてもおいしいお味でした。また、甘糀やくるみの甘酒は、甘みとコクをしっかりと感じる、ふくよかな味わいです。金柑の皮の甘酒は、金柑の香りと甘酒の甘みがぴったりとあって、爽やかな風味が広がります。口にした瞬間、思わず「おいしい!」と、声を上げました。

「金柑、おいしいでしょう。実は私は甘酒だけを飲むのは苦手なんです。でもその金柑の甘酒は大好きです。ほかにも柑橘類の皮で仕込むとおいしいですよ。それから今日はくるみですが、季節になったらアーモンドもおすすめです。ナッツ類と糀は相性が良くて、どれもとてもおいしい甘酒ができます」

金柑やナッツ類は、畑で採れたものを使っていると、熊澤さん。確かに目の前の畑では、季節のさまざまな木が新芽を伸ばし、野菜やハーブが伸び伸びと育っていました。

「ここは食べられる森なんです。RIVENDELをつくる際、並行してこの森をつくりました。ここにあるのは、くるみ、アーモンド、金柑、グレープフルーツ、ブルーベリー、梨、杏、びわ、栗、桑、タラなどさまざまです。こうして自分自身で自然に触れ、いろいろな野菜や果物を育ててみて、だんだんと自然の中でのルールのようなものがわかった気がしています。感動したり、発見したりすることばかりですね」

時間を早めたり、無理に大きくすることなく、季節の移り変わりに応じて草木や野菜が育ち、気候に合わせて自然に糀が発酵する様子からは、学ぶことが多いと熊澤さん。
「植物たちは、自らのペースで身の丈にあった育ち方をします。この場所も、自然のそうした姿に教わりながら、これからも少しずつ育っていけたらと思っています」

糀屋 米の花

住所:
神奈川県茅ヶ崎市矢畑201
営業日:
火木土
営業時間 10:00~17:00

糀、塩糀、甘酒を製造販売。
味噌、醤づくりも予約制で随時開催

Mail:
sizenbiyori@yahoo.co.jp
URL:
https://rivendel.jp/