おいしく長寿。魅惑の発酵王国NAGANO

化学の技術を活かしたものづくりで、
人と社会に持続可能な豊かな未来を

2024/07/11

化学の技術を活かしたものづくりで、人と社会に持続可能な豊かな未来を
化学の技術を活かしたものづくりで、人と社会に持続可能な豊かな未来を

発酵長寿の県として注目されている長野県。発酵食品の魅力を発信するプロジェクト「発酵バレーNAGANO」がスタートしたのは202311月。産学官の連携によりさまざまな取り組みが始まっています。学識者として同プロジェクトに参加しているのが、信州大学 副学長の天野良彦(あまのよしひこ)さんです。天野さんは植物や微生物などを含めた生物全般の機能を工学的に応用する研究を通して、大学発の食ブランド「ながのブランド郷土食」の開発や、長野県の植物を使ったバイオマスエネルギーの研究をされるなど、地域社会の発展にも貢献しています。そんな天野さんが感じる長野県の発酵食の魅力や化学の力で創造できる未来についてお話を伺いました。

廃棄していた地元食材を
再利用し、
長野県の郷土食をブランド化

長野駅の南側に位置する信州大学工学部キャンパス。善光寺にも近く、周囲を山々に囲まれ、四季の移ろいを感じさせてくれる落ち着いた環境下にあります。その一角に天野さんの研究室があります。天野さんの所属は物質化学科(工学部)といい、工学部内の物質工学と環境機能工学が融合して2016年に改組された比較的新しい科で、“環境やエネルギーなどの問題に対して、化学の力で最先端のソリューションを提供する”ことを目的に掲げています。主なプログラムは、環境・エネルギーに関連する先端材料の創製を行う「最新材料工学」、再生可能資源の利用や応用を行う「バイオプロセス工学」、新しい機能性物質の開発と応用を行う「分子工学」です。
天野さんの研究室に伺うと、目に入るのは電子顕微鏡をはじめとする解析装置などの機器類、棚に並べられた薬品類、試験管等々……。これらを駆使して、「ナノ」の世界に広がる未知の可能性に日々、向き合っているのです。
工学部全体では企業や団体、行政と連携する研究実績も数多くあり、天野さんはその中心的な役割を担ってきました。

紙や衣類の生地になるセルロースを酢酸菌(さくさんきん)で合成。
バクテリアセルロースは、天野さんが長年にわたって研究をしているテーマのひとつ。

「身近な食に関した例で紹介すると、長野市と連携した『ながのブランド郷土食プロジェクト』(20072019年)が挙げられます。プロジェクトを立ち上げた背景には、かねてより食品産業が抱えていた課題がありました。全国的な傾向ですが、長野市でも食の多様化に伴う技術開発力不足やブランド力不足といった課題があり、地元食材を使った新しい商品の開発と、食品製造分野での次なる人材育成が望まれていたのです」
大学では、長野市の食品関連企業の技術者を対象にした社会人教育コース、学生を対象にした大学院食品化学コースも開設し、同大学の農学部や医学部はもちろん、関係機関とも連携し支援をいただきながら取り組んだそうです。このプロジェクトから生まれたのが、「信大きのこカレー」「信大きのこハヤシ」「まるごとりんごジャム」「信州発えのきヨーグルト」「えのきパイ」といった地元の食材を使った食品の数々。
第一号の「信大きのこカレー」は長野県産のブナシメジが入ったカレーです。
「長野県のブナシメジの生産量は全国でもトップでしたが、春から夏にかけては生産量が落ち込むという問題がありました。そこで、その季節の戦力になるような付加価値をつけた商品開発が望まれていたんです。ブナシメジには抗酸化作用、血圧降下作用などが認められていました。健康食品としての価値に加えて、食品プロセス技術(生産、加工、保存などを含む生産プロセスを最適化し製品の品質を向上させる)により、従来のレトルトでは味わえないきのこの歯ごたえと旨みを実現させることでブランド力をもたせました」

「信大きのこカレー」は、教授や学生が開発した大学発のブランド食品としてマスコミでも話題に。

りんごの皮から抽出した
ポリフェノールを添加した健康ジャム

長野県はりんごの一大生産地。りんごの加工品もジュース、ジャム、チップスなど数多く作られています。特にジャムはりんごの中にペクチン(天然の多糖類、ゼリー状に固まる性質を持つ)が多いため加工しやすく、市場に多く出回っています。りんごといえば“真っ赤な”という形容詞がよく使われますが、天野さんのグループは、赤い色をしたりんごジャムがないことに着目しました。
「ジャムを造る際、りんごの果皮は剥いてしまうため、主に果皮に含まれるポリフェノールの一種、アントシアニン(赤い天然色素)が利用されていなかったんです。しかも、果皮の廃棄量は膨大で、加工業者にとって廃棄コストも大きな負担になっていました。そこで、果皮の再利用も含めて開発したのが『まるごとりんごジャム』なんです。アントシアニンの含有量が多い紅玉(こうぎょく)に着目、その果皮に食品用の酵素製剤を添加することで効率的にアントシアニンを抽出することに成功したんです。
この抽出液を濃縮し、ふじをベースとしたジャムに添加することで豊富なポリフェノールを含んだ健康ジャムができ上がりました。さらにペクチンの分解時にできる“ガクツロン酸”という軟骨育成促進作用が認められた副産物も得ることができました。
最近ではりんご抽出液を加えたビール「香琳(こうりん)」も企業との連携で開発されています。原料となったメイポールというりんごは食用ではなく授粉用に使われていた品種で、通常は廃棄されていました」
いままで廃棄していたような食品を利用したり、健康に良い成分を発見し食品に加えることで機能性という付加価値が生まれたり。また、独自の技術で香りや味、食感といったおいしさにもアプローチするなど。この「ながのブランド郷土食プロジェクト」の例のように、既存の課題を解決し、新しい付加価値へとつなげていくという化学的なメソッドにより、数多くの食品開発がなされているのです。

「香琳」はりんごから天然色素を抽出する技術を活用して生まれたビール。
ほのかな赤みのある色と、りんごの爽やかな酸味、香味が感じられる。

森の分解者、キノコが
地球の危機を救う⁉

天野さんがいま取り組んでいるメインの研究はどのようなものなのでしょうか。研究室で白衣を着た天野さんがクリーンベンチ(無菌作業台)の前に座り、なにやら作業をされています。手元のシャーレの中には菌のようなものが。聞くとそれは、「キノコ菌」だそうです。ちなみにキノコとは100%菌でできていて、唯一、菌そのものを食べる食品です。何か新しく品種改良したキノコでも作られるのでしょうか?
「いえいえ、キノコ自体を食用にするわけではなく、キノコに含まれる酵素を研究しているんです。酵素とは主にタンパク質でできており、すべての生物に必要なもので、消化・吸収・代謝などの化学反応を促進するものです。発酵でいえば、麹を使って食物の栄養を分解して消化・吸収しやすくしたり、旨味を感じるアミノ酸を生み出したりしますよね。それは麹に含まれる多くの酵素の働きによるものです。
もし、キノコ(キノコの酵素)が存在していなければ、地球上はどうなるか。おそらく倒れた樹木が何十メートルもうず高く積もってしまうはずです。地球の歴史には石炭紀(約35900万年~約29900万年前)という厚い石炭層が構成された時代があります。石炭は、樹木などの有機物が地中に埋もれて、熱や圧力によって変質したものです。石炭紀の地表には樹高約3040メートルにもなるシダの森林が広がっていました。この時代、樹木は木材を硬くする“リグニン”という物質を進化させていたのですが、この成分を分解できる酵素を持つ生物がいなかったのですね。
次のペルム紀(約29900万年~約25100万年前)になってやっと、リグニンを分解できる酵素をもった生物が登場するのですが、それがキノコだったのです。地球上で最大のバイオマス資源は木材ですが、いまも木材を分解できるのはキノコだけ。キノコって本当にすごいです。このキノコの酵素を利用したバイオマスエネルギーの研究というのが私のライフワークになっています」
バイオマスとは植物と太陽のエネルギーの光合成によって作られる再生可能な資源のこと。一般的にはバイオマスから得るエネルギーはカーボンニュートラル(温室効果ガスの排出を全体でゼロにする考え方)に準じると二酸化炭素排出はゼロにカウントされ、環境に負荷をかけないエネルギーと考えられています。

左:物質化学科の研究室で。同じくバイオマスの研究者である水野正浩(みずのまさひろ)さん(右)と。
右:シャーレの中でキノコ菌を培養中。

次世代の代替肉、
キノコ由来の
マイコプロテイン

「また、キノコには高い分解能力のほかに、酵母と同じようにアルコールを発酵させる力もあるんです。たとえば、古くなったエノキタケの袋が膨らんだりしますよね。それはアルコールが充満している状態です。エノキタケの発酵能力は中程度で、私たちが研究しているウスバタケは非常に高い発酵能力をもっています。実験段階では既にこのウスバタケを用いたアルコールの生産に成功しています。
究極の例ですが、たとえば家庭のタンクに木質チップを入れてキノコ菌を植えておき、蛇口をひねるとアルコールが出てくる。さらにその先には燃料電池も繋がっていて、電気も自前で作ることができる。そんな送電線がない未来も実現可能なのではないでしょうか。化石燃料に限りがあるとわかっているいま、キノコは地球の救世主になるかもしれません」
またここ数年の間、環境保護や持続可能性の観点から動物肉を控える動きが盛んになり、大豆ミートなどの代替肉やヴィーガン(完全菜食)に対する社会的関心が高まっています。
「大豆や昆虫類などの代替タンパク質があるなかで、いま注目されているのが “マイコプロテイン”という、キノコの菌糸を培養・加工して作られるタンパク質なんです。特徴として農地で生産する植物性タンパク質よりも環境負荷が小さいなどのメリットも多いんです。代替肉に関しては欧米の方が関心が高いですね。長野県は、環境先進国でもあるフィンランドとコラボレーションする形で、マイコプロテイン事業に着手しはじめました」
普段からよく食べているキノコ。おいしいだけでなく、そんなポテンシャルがあったとは驚きです。しかも、ここ長野県は全国有数のキノコ産地。そんな環境もあり、天野さんはキノコ菌の研究のライフワークの中からたどり着いた、新たなバイオマス資材にも着手しています。ソルガムというイネ科の穀物です。

長野県産ソルガムを利用した、
新しいバイオマスエネルギー

「長野市には耕作放棄地(以前耕地で今後耕作する予定がない土地)が市内農地の20%近くもあるんです。特に中山間地に多く、長野市はこの耕作放棄地にソルガムを植えて増やして行こうとしています。ソルガムは痩せた土地でも育つ“スーパー穀物”といわれ、連作も可能ですし、種類によっては背丈が3m以上になるのですが、成長が早いので約半年で収穫できます。特別な機械もいらず、農薬も必要がないため、働き手が不足している中山間地の課題解決にもつながると思います」
ソルガム利用の良いところは、カスケード型といい、1回だけの利用でなく、利用時に出る廃棄物を別の用途で再利用できて無駄がないこと、持続的に利用できることだそうです。
「収穫後の茎葉はいままでは輸入材に頼っていたエノキタケの培地(人口的に作られた栽培環境)として利用したり、畑に戻して肥料にしたり、牛の飼料にもなります。また、収穫後の廃培地をメタン発酵でガス化し、それを利用した電気と熱を生み出すバイオマスプラントの開発も見えています。
ソルガムは栄養価も高く、ポリフェノールやGABA(体に良いアミノ酸)も豊富な健康食品。グルテンを含まないので小麦アレルギー対応食品です。ソルガムの商品開発においては、地元のベンチャー企業と連携をはかり、パンやスイーツにも加工し、長野県の特産品「信州ソルガム」としてブランド力もついてきたと思います。キノコの特性と合わせたソルガムを利用したバイオマスエネルギーが実現すれば、産業やエネルギーの創出、農業の保全などを担っていく地域自立型の循環モデルになると思います」

収穫後の廃材、ソルガムの茎葉をエノキタケの培地として利用(左)。
ソルガムは欧米ではポピュラーな穀物だが、
長野県でもタカキビやコーリャンとも呼ばれ古くから飼料として栽培されていた。

発酵食という伝統文化と
最先端の化学が出会うとき。
――長野の食文化の改革へ

世界中に長野県の発酵食を広くPRしていくことを目的に設立された「発酵バレーNAGANO」は、信州大学をはじめ県内各大学、県内自治体、団体等の連携によるプロジェクトです。まだ始まったばかりの取り組みですが、大学という研究機関が発酵食を捉えていくうえで、これからどのような事ができるのでしょうか。
「いまは議論が始まった段階ですが、大学としては2つ方法があると思います。1つは私たちが持っているような基礎研究の蓄積をどうやって食品生産の現場に落としていくか。もう1つは、現場での課題を挙げていただき、基礎研究の中でどんな解決法があるか、どんな貢献ができるのかを探っていく方法ですね。
例を挙げると、工学部の中にはロボティクス(ロボットの設計、製作、制御を行なうロボット工学)の研究チームもあります。ロボットはセンサーでさまざまなデータを収集し、AI(人工知能)で分析、判断して自律的に動きますので、食品の製造現場などに導入すれば、いままで人の手作業に頼っていた部分も補うことができます。もちろんその上で、食品としてのおいしさや栄養が守られる、持続性のあるシステムを提案していきたいです。また、健康長寿というのが長野県の特徴になっているので、食の機能性、健康に良い食への取り組みも大切だと思います。廃材のりんごの皮から取り出したポリフェノールを使って食品に機能性をもたせた例もそうでしたが、ブランド力の強化にもつながると思います。また、伝統的に体に良いとされてきた食品も、化学的なエビデンスをきちんと取っていく、機能性の検証なども必要になってくるかもしれません」

職人の経験値で培った技術を、エビデンスを取りデータ化して残していくことも大切と話す。

今後の食品生産の現場のニーズと大学としての基礎研究がどのようにマッチングできるかがポイントになります。発酵食品の多くは昔からの経験値の蓄積がいまも伝承されている世界、それが最先端の化学と出会うことで何が生まれるのか楽しみになります。
発酵には酵母の菌のほか、さまざまな菌が関与しています。それらの菌がどういうタイミングでどんな風に作用するのか、味の変遷はどうなのか。微生物の成長を画像処理しAIで解析する技術を使って、エビデンスのデータを取ることも大切になってくるかもしれませんね。ある他県の大手酒蔵では、それまで杜氏(とうじ)の頭の中で行われていた酒造りの工程をすべてIT化してデータ管理したことで話題になりました。つまり酒蔵から杜氏がいなくなったわけです。発酵食品などの伝統食を含めた食品業界にもゲームチェンジが起きているのかもしれません。
とはいえお酒は嗜好品です。いろいろなお酒があっていいし、統一的にする必要はないと思います。長野県は全国で2番目に酒蔵が多い県。しかも中小規模の蔵が多いので味もバラエティに富んでいます。そういう個性は残すべきだと思っています。
海外から見ても、日本酒の蔵つき酵母(蔵に住み着いた酵母)なども含めて、日本独特の菌や発酵技術に対して興味が沸くのではないでしょうか。学会などを通してそういったものを世界に発表していけたら。日本酒に限らず、もし、長野県の発酵食の製造工程のエビデンスを一つひとつ取っていくことができたら、とても面白いことになると思います。きっと新たな発見があるはずですから」
天野さんのお話によると、現在、人が培養できている微生物は全体の0.1%で、99.9%は培養されていない菌だそうです。つまり、未知の微生物の中にはキノコ菌を超えるようなスーパー微生物が潜んでいる可能性があるかもしれません。といっても、食品に利用するためには認可という高いハードルがあるので、これはあくまで想像の範疇です。
今年5月、信州大学の中に、「発酵バレーNAGANOイノベーションセンター」が開設されました。これによってさらに密接に産学官連携が図られるものと思われます。長野県の誇る発酵文化が化学の力と融合して、どのように進化を遂げていくのか、見守っていきたいですね。

天野良彦(あまの よしひこ)さん

信州大学 副学長(拠点形成担当) 

天野良彦(あまの よしひこ)さん

信州大学 副学長(拠点形成担当) 

天野良彦(あまの よしひこ)さん

地域におけるバイオマス資源を有効活用する技術開発分野の第一人者。1994年信州大学大学院工学系研究科博士後期課程修了、2010年信州大学地域共同研究センター長、2018年信州大学学術研究院工学系長・工学部長、2021年信州大学副学長(拠点形成担当)。

縁-enishi-

縁-enishi-

長野県産の素材にこだわったグルテンフリー専門のアンテナショップ。信州大学と連携して開発した「信州ソルガム」の商品も販売しています。

住所:
長野県長野市若里2-1-23
TEL:
026-466-6610
営業時間:
水金 10:00~16:00 
土日祝 10:00~15:00
URL:
https://enishi-sorghum.com/
  https://akebono-shop.com/ (オンラインショップ)
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