発酵を訪ねる
海街の糀屋の春夏秋冬
夏の雨、人と道具、つながりの物語
2024/08/08
発酵を訪ねる
2024/08/08
神奈川県茅ヶ崎市にある糀屋「米の花」。前回、ご主人 熊澤弘之さんに、「紙を重ねるように少しずつでも、積み重ねていける仕事がしたい」という思いから、糀屋になる決意をしたお話を聞きました。その際、糀づくりを始めた頃の自分自身を支えてくれたのは、建物や道具に携わる人との出会いだったとお話されていた熊澤さん。そこにはどのような思いがあったのでしょうか。夏のはじめの雨の日、お話の続きを聞きたくて再び米の花を訪れました。
春から夏へと季節が移り、青さを増した草木が雨に濡れる様子を窓越しに眺めていると、熊澤さんが「どうぞ」とお茶を出してくださいました。お茶の隣には雨の日のやわらかな光に映える赤い実がひとつ。「ここで採れたプラムです。皮ごと食べてみてください」という熊澤さんの言葉に従ってパクリと頬張ると、果実の甘みが口いっぱいに広がり、皮の酸味がその甘さを追いかけてきます。その爽やかなおいしさに驚いていると、「この季節になると『そろそろプラムの季節だね』と楽しみにしてくださっている人も多いんですよ」と熊澤さん。
2011年、熊澤さんは祖父から受けついだ場所で農園を始め、四季折々の果物や野菜をつくりながら、6年前に糀屋「米の花」を手探りで始めました。糀屋を始めようと決めた頃、まだここに建物はなかったそうです。
「まずは、設計士さんに相談しました。糀をつくるためにお米を蒸すので、すごく蒸気が出ますと。そうしたら、もしかしたら『石場建て』にするのがいいかもしれないですねと、おっしゃって」
石場建てというのは、柱の下に礎石と呼ばれる石を置き、柱と石とを固定しない建て方のこと。日本の伝統的な建築工法で、社寺などに用いられています。
「石場建てにすると、建物の足元の通気性がいいので、湿気がこもって床や壁が傷むのを防げるのではないかということでした。僕自身、石場建てのことをよく知っていたわけではありません。でも、話を聞いてやってみようと思ったんです」
石場建ての場合、現代の家のようにコンクリートで基礎をつくるわけではないため、建物を土壁や瓦の重みで押さえていきます。熊澤さんは大工さんと一緒に体を動かし、建物をつくっていきました。
「土壁の骨組みに使う竹は僕が採ってきたものです。それを半年ぐらい乾燥させて節を取り、長さを調整して編んでいきます。編む工程は家族総出で行いました。この竹の骨組みに土と藁を混ぜたものを塗っていきます。藁はうちの田んぼのもので、半年ぐらい発酵させて土壁にしていきました。どれも身近な材料でできたもの。修復するときも同じようにすればいいですし、バラしてしまえばすべて土に戻る素材でできています」
瓦は、群馬県藤岡市の「藤岡瓦」を使っています。
「藤岡瓦は、窯で焼いてつくられる伝統的な瓦です。瓦を焼いてくださったのは、五十嵐さんという職人の方で、屋根を葺く時、自ら運んできてくださいました」
熊澤さんは今でも、その時の五十嵐さんの姿が忘れられないと言います。
「70歳を超えた小さくて細い方でしたが、きびきびとした身のこなし、私や大工さんに気を配ってくださる姿、清々しいお顔がとても印象的で。お会いしたのはその時一度だけなんですが、未だにお顔も振る舞いも忘れません。その姿にこれまでの生き方、人間性があらわれているようで。自分もこういう風に年を重ねたいと思いましたし、今も勝手に師匠だと思っているんですよ」
手作業でつくられる藤岡瓦には一枚一枚個体差があるため、葺き士と呼ばれる職人が瓦の組み合わせを見ながら屋根を葺き、固定していきます。
「曲がりや歪みがある瓦を削ったりして調整しながら、屋根の上に持っていって固定していくんです。4000枚もの瓦をそうやって葺いていくのですから、すごい作業です。一般的な並べ瓦は、台風や強風などの際に飛ばされることが稀にありますが、この方法はしっかりと固定されていますし、瓦自体とても丈夫で100年200年もつと言われています」
糀屋を始めよう、そう決めた熊澤さんが出会った石場建てという構法でつくった建物、そこに関わってくださった大工さんや瓦の職人さんたち。熊澤さんは彼らの様子を今も大切に思い出しています。
「糀屋を始めたばかりの頃、不安な気持ちになったこともありました。そんな時は関わってくださった職人さんの顔を思い出したり、自分や家族が体を動かしてつくった壁を見たりして、元気をもらいましたね。一つひとつみんなでつくってきたんだ。ちょっとやそっとのことでは辞められないぞと、力をもらいました」
実は、建物よりも先に熊澤さんが自分自身でつくったのが、米を蒸す際に用いる大きな桶でした。味噌屋を始める友人を通して知り合った桶屋で桶づくりを学びました。
「最初は、職人であるご主人に付いていろいろお手伝いをして、それから桶づくりを教わりました。桶は木と木を竹の釘で留めていきます。ですから、まず教わったのは竹の釘をつくること。つくった釘は何百本という数になりました」
カンナの使い方や、緩みのないよう木を箍(たが)で締めていく作業も教わり、時間をかけて大きな桶を一つ完成させました。
「メンテナンスをしながら使えば、この桶はおそらく僕よりも長生きします。それくらい保つものだからこそ、自分自身で調整したり直したりできることは、とても大事なことなんです」
糀づくりに使う道具類もその当時、手づくりしたものだと熊澤さん。
「蒸した米を切ったり、移したりするために使う道具は、桶づくりの合間につくりました。片手で2キロほどの米を何度も移動させるので、しゃもじは自分の手に馴染むようグリップの角度を整え、米が切りやすいよう片側を薄くしています。杉の床板か何かの端材でつくったのですが、軽くて丈夫で、とても使いやすいです。糀づくり用の道具なんて売っていませんし、つくってもらうと高額になってしまう。桶辰さんの桶づくりの道具の多くも職人自ら手づくりしたものばかり。桶辰さんで必要なものがあれば、つくるということを教わりました」
当時、道具づくりは必要なことでもありましたが、同時に熊澤さんの心を落ち着かせてくれたそうです。
「糀屋を始めようと決めたものの当時は不安でいっぱいでした。何かをしていないと気持ちがざわざわして、つい思考がネガティブな方に行ってしまうんです。お客さんが来なかったらどうしよう、これからどうなるんだろうって。そんな思いを打ち消すために手を動かし、道具をつくりました。これから何が必要になるだろう、何かアクシデントが起こった時に慌てないよう今できることを準備しておこうと、一つひとつ想像してつくっていきましたね」
もう一つ、熊澤さんの日々を支えている道具があると見せてくださったのは、佇まいの美しさが印象的な箒でした。
「これは中津箒といって、神奈川県の愛川町中津というところでつくられているものです。米の花の掃除をどういうふうにしていこうかと考えた時に、ある人が教えてくれたのがこの中津箒でした」
中津箒づくりは、幕末から明治維新の頃、箒の原料となるホウキモロコシという植物の栽培法と製造技術を学んだ人が、中津で始めました。昭和初期まで盛んにつくられていましたが、人々の生活様式の変化などにより衰退し一度は廃業。しかし、6代目の女性が改めてホウキモロコシを栽培し、中津箒を復活させたそうです。
「中津箒のお店を訪れた際、素敵な箒だなと思ったんですが、すぐに買おうとは思っていなかったんです。でもご案内いただいた社長さんが『箒って心の埃もはらうんですよ』っておっしゃって。
『部屋を掃除する際の埃やごみって汚いように思っていますが、もとは自分の頭から落ちた髪や、着ていた衣服の一部がほつれて落ちたものですよね』って。その言葉にハッとしたんです。大切にしていたものが役目を終えて落ちたものが埃なのだとしたら、今までお世話になったものたちに『ありがとう』って送り出してあげないといけないのになと。
掃き清めるというのは、物理的に埃やごみがなくなることでもあるけれど、自分を支えてくれていたものに感謝の気持ちを持つ行為でもあると教えていただきました」
それまで掃除はやらないといけないものであり、効率的にゴミを集められる掃除道具はなんだろうとしか考えていなかったと熊澤さん。でも中津箒で掃除をすることで、掃除の時間の意味合いが変わったと言います。
「この箒を使って丁寧に掃除していると、どこか気持ちが浄化されるような気がしますね。日常生活において、常に静まった気持ちでいるのは簡単ではありません。いつもいつもその境地ではいられない。でも、植物を育て、糸を染め、一針一針つくられた箒を持つと気持ちがすっきりして、掃除の時間が心のメンテナンスのような時間になっています」
建物も、桶も道具も、選んだものは非効率なものばかりかもしれない、と熊澤さんは笑います。でも、効率だけを考えていると、いずれしんどくなるんじゃないかなと熊澤さん。
「効率の良さだけを追い求めていると、自分の中に積み重なっていくものがないですよね。特に人生の後半になって体力が衰えたりして、若い頃と同じフィールドではいられなくなったときに、効率重視だとつらくなる時が来る気がするんです。
一つひとつ、丁寧に積み上げてきたものは、心を強くしてくれる。そういうことを知っている人や物の存在によって、自分自身も踏ん張れるというのかな。たとえ効率的でなかったとしても、結果的に遠くまで行けるってことがあるような気がするんです」
日々、糀づくりに使う自分の手でつくった桶を前に、熊澤さんはこう続けます。
「僕もいつか命が尽きますが、大切に使った建物や道具は残ると思うんです。僕も昔の人がつくった道具から力をもらうように、僕の子どもたちや、その次の世代の誰かが、またその道具から力をもらってくれたら。そんな思いでいます」
降りしきる雨を眺めながら聞く熊澤さんのお話は、しっとりと心に潤いをくれるようでした。
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