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おいしく長寿。魅惑の発酵王国NAGANO
納豆の小さなパッケージいっぱいに
詰め込まれた、経営者の「良心」
2024/11/07
納豆の小さなパッケージいっぱいに詰め込まれた、経営者の「良心」
おいしく長寿。魅惑の発酵王国NAGANO
2024/11/07
長野駅周辺は、西側には国宝・善光寺の門前町、東側にはオフィス、飲食店が立ち並び、長野市の中心的市街地として栄えてきました。そんな駅周辺の喧噪から少し離れ、東口から10分ほど歩いた所にあるのが長野市若里。文化ホールや図書館、医療施設などが点在し、閑静な住宅街を有するエリアです。その一角にあるのが、納豆メーカーの村田商店。工場に隣接した直売所には「昭和26年創業」と書かれた暖簾が揺れています。長野でおいしい納豆といえば必ず名前が挙がる、知る人ぞ知る納豆メーカーです。3代目であり代表取締役の村田滋(むらた しげる)さんにお話を伺いました。
「いま、『古今(こきん)納豆』を経木(きょうぎ・木材を薄く紙のようにしたもの)で包む作業を行っているところです。工場を見学されませんか?」とにこやかな笑顔で取材班を迎えてくれたのは、村田商店の3代目、代表取締役の村田滋さんです。早速、白衣を着て工場にお邪魔すると、思いのほか納豆の匂いではなく、ふんわりと甘い香りがしました。従業員の方々が一か所に集まり、せっせと作業をされています。蒸し上がった大豆をお玉ですくい、経木に詰めたら折りたたみ、手際良く三角形の納豆ができ上がってきます。大豆には既に納豆菌が混ざっているそうです。蒸した大豆を味見させていただくと、まだ温かく、ほんのり甘いおいしさ。納豆を包んでいる経木も趣があります。かつては魚や肉、だんごやおにぎりなど、いろいろな食品を包む際に使われていましたが、いまではあまり見かけなくなりました。
「経木納豆は、見た目が良いだけではなく、湿度もほどよく調整してくれますし、松脂(まつやに)の抗菌効果もありとても衛生的なんです。また、酸素を通すので納豆菌の胞子が増えて糸引きが強くなり、納豆独特のアンモニア臭も消してくれるんですよ。
ここで使っている経木は、長野県伊那市のもので、材質は赤松です。職人さんが手作業で一枚一枚削って作ったものです。でも、経木職人は全国でももう10人ほどなんです。うちが以前お願いしていた方は、長野で唯一の経木職人でしたが、4年ほど前に高齢で大幅に業務縮小されたんです。それで困っていたら、地元の新聞で伊那市の木工会社がその方から機械を1台譲り受けて、経木制作に取り組み出したという記事を見つけたんです。伊那市は赤松の産地だし、これはと思い、すぐに足を運んでお願いしたわけです」
「古今納豆」の1個の容量は少し多めの80g、約1400個を2時間ほどで詰めるそうです。三角形の経木納豆が次々とケースに収められていきます。
「ケースを重ねたものを41~42℃に設定した発酵室に入れ、約18時間発酵させると、納豆ができ上がります。後の包装ですが、経木の場合は形が固定されますので、接着材などは使わず、三角系の外装フィルムの中に入れるだけです」
納豆の製造工程は、<大豆を洗う>→<一晩浸水>→<圧力釜で大豆を蒸す>→<納豆菌を噴霧>→<容器に詰める>→<発酵>→<梱包>→<出荷>です。
納豆の容器は発砲スチロールが主流ですが、製造工程自体は、だいたいどのメーカーも一緒だそうです。納豆の製造面での特徴といえば、容器がそのまま発酵容器を兼ねる点。原材料は大豆と納豆菌だけ。味付けも必要ないきわめてシンプルな加工食品といえます。でも、そうなると、納豆メーカーはどこで他社との差をつけているのでしょうか。そんな問いに村田さんはきっぱりと答えました。
「やはり、おいしい納豆を造るために大切なのは、原料の大豆へのこだわりが一番です」
村田商店の創業は、戦後まもない昭和26年(1951年)。宮城の仙台市出身だった祖父の村田兵衛(ひょうえ)さんが、戦争から戻って、戦前から仙台市の実家で、『政岡納豆』という納豆店を営んでいたお兄さんに、納豆造りを教わって始めたのが最初だそうです。お兄さんは納豆造りを目指す者が師と仰ぐ存在で、修行生も10人いらしたそうです。その面々は修行後、全国に散らばり『鶴の子納豆』で有名な高橋食品工業(京都府)さんをはじめご活躍されています。
「祖父も修行後、この場所に工場が空いていたため移り住んだんです。最初は原料も『あぜ豆』といって、田んぼのあぜ(田んぼと田んぼの間の土を盛り上げた場所)に蒔いた自前の味噌にするための豆をかき集め、納豆にしていたようです。暫くして中国から輸入大豆が入って来ると、そちらを使うようになりました。『中京(ちゅうきょう)豆』と呼ばれていましたが、品質はとても良かったと聞いています。最初の商品は『一茶納豆』といい、江戸時代の長野の俳人、小林一茶の有名な句『痩せ蛙 負けるな一茶 これにあり』にちなんで名付けられました。『一茶納豆』は地元で人気となり、造れば造っただけ売れたそうです。いまでもうちを村田商店ではなく一茶納豆と呼ぶ人が多いくらい。うちの屋号となっています」
1匹の小さな痩せ蛙を自分に重ね、励ます心境を詠んだといわれる句からは、祖父、兵衛さんのふるい立つ思いが伝わって来るようですね。
兵衛さんの後を継いだのが、父の村田稔(みのる)さんです。
「父は職人的な気質を持っていたので、一茶納豆の品質向上に貢献し、現在のスタイルを確立させたといえます。平成元年(1989年)には、工場を新しくし北海道産などの国産大豆の納豆も多数開発したのですが、時代とともに厳しい経営環境に立たされました」
その頃の納豆を取り巻く状況といえば、戦後の日本では、食生活の変化と共に徐々に豆腐や味噌といった日本の伝統的な大豆加工品の消費量が下降していきます。その中で唯一、消費量を伸ばしていたのが納豆です。これにはいくつかの要因がありました。昭和61年(1986年)ナットウキナーゼという発酵過程で納豆菌が産出する酵素が発見されたと発表され、健康食品として納豆に注目が集まります。同時期、納豆の上位大手メーカー数社がいままで納豆を食べてこなかった西日本の消費者層に向け、次々と西日本エリアへ営業所や工場を建設し、消費者の嗜好に合ったタレの添付や、においの少ない商品、手軽に食べられる発砲スチロール容器での販売を開始します。それ以前は大粒、中粒が主流でしたが、発砲スチロール容器とともに小粒納豆が広まりました。
「その頃の祖父の日誌には、“発砲スチロールの容器に入った小粒納豆で、タレまで付いている”と記されていました。かなり画期的な商品だったのでしょうね」
さらに平成12年(2000年)以降に始まった健康ブームに拍車がかかり、マスメディアの影響などで食生活の均質化が進むなか、納豆は全国規模での大量生産、価格戦争時代へと突入するのです(農林水産省資料より)。その最中、平成2年(1990年)より稔さんの下で経験を積んだ後、平成8年(1996年)にバトンを渡されたのが村田滋さんでした。
「私が後を継いだ頃は、納豆100円の壁というのがあって、50g×3個パック100円以下でないと売れない時代になっていました。大手メーカーさんの商品は地方にくまなく進出し、連日のセール販売も当たり前でした。経木納豆も既に父の代でやめていて、価格が高い国産大豆では全く採算が取れず、仕入れる大豆は問屋任せで、アメリカ産、カナダ産が多かったです。うちも、取引先のスーパーから『村田商店さんもやってみましょう』といわれ、価格を下げて生産量を増やしてみたんです。そうしたら寝る間もないほどフル稼働しないとダメで、うちには量産は無理だと痛感しました。もちろん、大手メーカーさんは、消費者の家計が苦しい時代にも、安価な商品を提供する大きな役割を担ったと思います。でも弊社がやるべきことは、そこに肩を並べることではなかったんです」
一時は市場に翻弄された村田さんですが、振り返れば長野県の俳人の句にちなんだ一茶納豆から始まり、信州産の経木にこだわってきた村田商店ならではの歴史があります。
「その意味は何だったのだろうと思いました。うちにはうちの強みを見つけなくてはダメだという答えと同時に、長野の大豆で勝負したいという思いがこみ上げてきました」
長野の大豆にこだわる気持ちは強かったものの、具体的な仕入れ先を知っているわけではなかった村田さん。まずは手当たり次第、いろいろな大豆を取り寄せては納豆にし、試作をすることから始めたそうです。続けていくうちに手ごたえのある大豆に出会います。
「最初にこれだ!という大豆に出会ったのが浜農場さんという松本市の生産者です。『すずこまち』という小粒の品種を栽培することになりました(後に品種改良され「すずろまん」に)。実は、国産大豆の小粒品種は非常に貴重で、生き残っていくのが大変なんです。納豆メーカーくらいしか使わないし、納豆メーカーが使わなくなると廃れてしまう。生産者側のリスクが大きすぎるんです。でも、そこをきちんと保証すると約束し、納得していただき平成9年(1997年)から、契約栽培という形でお願いすることができました」
大豆の品質の良さももちろんですが、決め手となったのは、浜農場が長年こだわってきた無農薬による栽培でした。
「現在は、全国的な害虫の大発生や異常気象による影響を受けて、『特別栽培』(節減対象農薬の使用回数と化学肥料量が規準以下)となりましたが、いまも環境にやさしい良質な大豆の栽培に取り組まれています。そんな浜農場さんとのおつきあいのなかで、安全や環境に対する考え方について多くを学ばせていただきました。いまは、農薬等の使用については、みなさん栽培記録を開示されていますので、こちらもそれを確認しながら進めています」
またその頃、世間を騒がせていたのが、遺伝子組み換えの問題でした。遺伝子組み換え食品が国内で初めて登場したのは平成8年(1996年)頃、安全性が確認できた食品のみという大義名分でしたが、実際にはどの商品がそうなのか消費者はわからないままで、大豆を含む30品目の表示が義務化されたのは5年後の2001年でした(農林水産省、厚生労働省資料より)。
「浜農場さんと契約した直後くらいに、長野の生活クラブ(「生協」として組合員が生活をより良くするために運営する事業体)さんが、地元の豆を使うのであれば、ぜひ一緒に納豆を開発したいといってくださいました。そのときにクローズアップされたのが遺伝子組み替えの問題でした。うちの工場の入り口には、いまも、当時生活クラブさんが作ってくれた『遺伝子組み替え拒否工場』というプレートがかかっており、そのスタンスは変わりません。品質や安全性もさることながら、国産の原料を使う理由には種の遵守(じゅんしゅ)があるわけで、これからもこだわり続けていきたいですね」
この長野生活クラブとの出会いで、長野市及び周辺産地の農協から直接の買い付けが可能になりました。このような形で、1軒1軒、これはと思った生産者に会いに行き、根気よく説明して、徐々に長野県産大豆のネットワークを広げていったそうです。
「こちらも、生産者さんの顔の見える大豆を使うことで安心感を得られるし、生産者さんにとっても同じで、自分たちが作った大豆が何に使われるかがわかるので、それが嬉しいといってくれますね。現在、小粒から大粒まで契約栽培をお願いしているのは6軒にもなりました。足掛け10年以上かかったと思います。その間にも、値段の変動だとか、気候による影響も多く出るようになりました。そのため、畑作のところ、水稲のところ、同じ長野でも産地を変えて、1つ問題が出ても全部が影響を受けないよう、タイプの違う生産者さんと契約しています。契約後も、生育状態を確認しに行ったり、世間話をしたり、ときには草むしりをお手伝いしたり、生産者さんと一緒になって、うちも使い続けていくための努力をしています」
村田さんの取り組みに賛同し、自ら提案をしてくれた業者さんもありました。納豆に添付するタレ・からしの専門メーカーです。一般的な納豆の裏側にずらっと表記されているのはほとんどがタレの材料。アミノ酸等の化学調味料、増粘剤等の添加物、ぶどう糖果糖液糖等の異性化糖、からしの着色料等が含まれることは少なくありません。
「タレ・からし専門メーカーさんが、あるときこんなの作りましたと無添加のものを持って来てくれました。材料は醤油、砂糖、酢、みりん、だしエキスといった安全なものだけで、化学調味料などを使わなくても、調味料の配合バランスでおいしくなるというんですね。またからしも同様に、水飴、醸造酢、食塩、レモン果汁、香辛料という感じで、こちらもありがたかったです」
しかしどんなに、生産者が安全で良い大豆を供給しても、メーカーが品質の高い商品を造っても、そのことを消費者が知らなければ、価格だけで判断されてしまいます。“商品造りのストーリー”を販売店の方に理解してもらうことも大切だと村田さんはいいます。
「いまでこそ安心安全というのが当たり前になっていますが、一生懸命説明しても、2、30年前はすぐには理解されなかったですね。こちらも、資料にまとめて読んでいただいたり、説明の場を設けていただいたり。コミュニケーションをできるだけとり、我々メーカーの思いを代弁して消費者に伝えてもらえるようお願いしてきました。その甲斐あって、売り場の方々の教育に熱心に取り組んでくださる販売店もありました」
数々の出会いを通して、事業の基盤づくりをされてきた村田さんですが、大豆探しにおいて、奇遇な出会いもあったようです。
「実は他の大豆加工品にするとおいしい豆が、納豆にしておいしいとは限らないんです。納豆の大豆は、糖質が多く、脂肪分は逆に少ないものがいいんですよ。常にそういう大豆を探していたところ、思わぬ掘り出し物…といっては失礼ですが、すごい大豆に出会いました。『なかせんなり』という品種で、祖父の代で使っていた中京豆にも似ていました。大きさは大粒、中粒、小粒と3種類あるなか、他の加工品メーカーさんはどこも大粒、中粒は買うけれど小粒には見向きもされない。なぜかというと、それが成熟しきれていない若い豆だったからです。そのため脂肪分が少ないんですね。それが味噌にはダメでも納豆にはすごくいい。小粒といっても納豆の小粒よりひとまわり大きいサイズで、それをうちが買い取ることにしたんです。決して安くはなかったですが (笑)、この出会いは大きかったです」
平成25年(2013年)、栃木県・宇都宮市で第18回目の全国納豆鑑評会が開催されました。納豆の見た目、香り、糸引き、味・食感の5項目について評価される大会です。この大会で、みごと最優秀賞である農林水産大臣賞に輝いたのが、村田商店の「道祖神(どうそじん)納豆」でした。この納豆に使われている大豆こそが、「なかせんなり」なのです。村田さんが信念を持って、長野県内の大豆を探し歩いた努力が一つ、大きな形となって還ってきました。受賞後、スーパーの店頭では数日、道祖神納豆の完売が続いたそうです。
長野県産の品質の良い大豆にこだわって、大粒、小粒、ひきわり等、さまざまな種類の納豆を開発してきた村田商店。日本一に輝いた「道祖神納豆」をはじめ、いろいろな大会で賞を受賞した納豆も少なくありません。現在では、長野県の支援機関の協力も得て、販路も県内に留まらず首都圏やアメリカ、台湾など海外へも徐々に拡げています。しかし、販路の開拓において、もがいていた時代もありました。
「取引を拡げて行こうとすると、いつも、『納豆は冷蔵設備がないと販売できない』『賞味期限が1週間で切れると売りにくい』といった課題がつきつけられました。そのため、常にそれらをクリアできるものはないかと、模索していました」
あるとき、村田さんの目に留まったのは、ふりかけやインスタント味噌汁の具として使われていたフリーズドライのひきわり納豆です。市場にはまだフリーズドライの納豆単体の商品はなく、ドライ納豆として売られていたのは、主にパーム油などで揚げたもので、かための歯ざわりで、調味料による濃いめの味付けがされていました。
「納豆屋が造るのだから、もっと違う納豆本来のおいしさや健康食品としての魅力もある商品を造りたいと思いました。そこで、県の工業技術センター(県内企業の技術力・研究力の向上に支援を行う研究機関)の門をたたいたわけです。テスト製造を何度かしていただくうちに、のめり込んでいきました。納豆を乾燥させるだけで、サクサクしているのに、噛むごとに口のなかに豆の味がひろがり、納豆らしくヌルヌルしてくる、味わったことのない不思議で新しい食感でした」
フリーズドライ納豆「どらいなっとう」が製品化されたのは2002年のこと。納豆には、小粒品種であるスズロマンが使われました。
「無塩と薄塩があり、塩は高知産の天然塩を使いました。ミネラル成分が多くて、しょっぱさよりうま味が際立って、醤油で食べる以上に国産大豆の味を感じます。塩味は薄めでおつまみよりもスナック菓子という感じです」
発売から最初の7、8年はフリーズドライの会社で加工委託していたそうですが、そこは村田さん、遂にフリーズドライの装置を購入し、自社で造るようになりました。
「加工委託だと、ターンテーブル通りに進めなくてはならないため、仕上がりに影響するんですね。自社であれば納得がいくまで取り組めますから」
その工程はまず、ドライ納豆用の納豆を造り、マイナス35℃以下に冷凍した納豆を装置に入れ、真空状態を維持しながら、時間をかけて加熱、乾燥させます。乾燥時間はなんと38時間だそう。
「真空凍結乾燥という製法なんです。特徴は、サクサクなのに加水すると粘りが蘇り、納豆そのものの味わいが再現されること。また保存性に優れ、長期間おいしさが持続します」
納豆菌は熱に強いので、フリーズドライにしても菌の数は減らないそうです。まさに、手軽に摂れる新しい健康食品が誕生したわけです。
市場にはなかった商品、「どらいなっとう」は業界で話題となり、若い納豆職人が1人、また1人と、「自社でも造りたい」と村田さんを訪ねてきたそうです。現在では、他社製品も見かけるようになりました。
経営が苦しい時代に家業を継ぎ、社長となった村田さん。お話を伺っていると、苦しいときも自身の信じた道を突き進んで来られた印象を受けました。
「ものづくりの現場は、いまはだいぶ開かれていますが、まだまだ密室の部分も多いんですね。公開されていない情報もあり、すべてがガラス張りではないんです。特に納豆という商品は、パッケージの中に隠された食品です。たとえば、国産大豆も輸入大豆も、食べてみなければわからないじゃないですか。つまり、大切なのは造り手側である経営者の良心だと思うんです。それだけは、揺らがなかった自負があります。契約栽培にしてもドライ納豆にしても、人からはあえて遠まわりして険しい道のりを歩んでいるように見えるかもしれません。確かに一筋縄でいかないこともありました。でもいつもどこかに、諦めなければまだ失敗じゃないという気持ちがあって。一つの生きていく道としては、良かったのかなと思っています。別の道もあったかもしれませんが、いまとなっては比べられませんし(笑)、貫き通すしかないです」
納豆のように粘り強く、まるで1本の透き通ったきれいな糸が力強く引かれるような…。村田さんの言葉からはそんなイメージが連想されました。
納豆は加熱しても、健康に良い納豆菌は生きています。オムレツや味噌汁などにもどんどん使っていきたいですね。納豆のプロ、村田さんに教えていただいた簡単でおいしい納豆どんぶりのレシピをご紹介します。小粒の「古今納豆」で作ってみました。卵を半熟に仕上げるのがコツ。納豆だけに、あと(糸)を引くおいしさです!
村田商店 代表取締役。大学卒業後、大手流通企業での職務経験を経て、平成2年(1990年)、家業に入る。2代目父・稔の元で修行後、平成8年(1996年)に3代目社長となる。地元長野産の大豆の契約栽培に力を入れ、独自の市場を確保。また、工場併設の直売所を開店するなど消費者との顔の見える関係性を構築、信頼性を重視した販売を行う。平成20年(2008年)以降は地域の活性化に貢献する諸団体での活動に積極的にかかわり、納豆造りを通じて食料の自給率向上にも力を注いでいる。プライベートではアウトドア派で、趣味は釣り・ゴルフ・ドライブ。
https://muratashoten.com(オンラインショップ)