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発酵を訪ねる
元寿司職人の「菌太郎」店主が
提案する発酵会席の魅力
2025/02/06
発酵を訪ねる
2025/02/06
神奈川県・野毛町は、昔ながらの居酒屋や蕎麦屋、焼き鳥屋などが軒を連ね、お酒好きには古くからよく知られた街。近年はおしゃれなイタリアンやビストロなども並び、感度の高い若者にもファンが多い地域です。この日は、発酵会席が人気の「菌太郎」を訪れ、ご主人の角地 直(かくち すなお)さんにお話を伺いました。
お店に入ってまず目につくのは、長いカウンター席と奥のお座敷。日本酒のボトルがずらりと並んでいます。一見、この街には何軒もあるようなお店に見えるかもしれません。しかし、ここには、この店でしか味わえない食を求めて多くの客が訪れます。客たちのお目当ては元寿司職人のご主人 角地 直さんが手掛ける発酵料理。中でも発酵食品を使った一品と汁物、菌寿司と呼ばれるオリジナル寿司を味わえる「発酵会席」はこの店の看板メニューです。
「私がこのお店を始めたのは、10年前。まだ世間では今ほど発酵食に注目が集まってはいない時でした」と角地さん。角地さんは、オープン当初から、味噌、醤油、漬物、ヨーグルト、納豆などの発酵食、“菌食”を駆使した料理を提供し続けてきました。
「たとえば、『発酵会席』は、手づくり味噌や納豆、キムチと言った発酵食を用いた一品と、汁物、ぬか漬け、そして、菌寿司というオリジナル寿司など、すべて発酵に関わる料理、だいたい6〜7品で構成しています。お食事当日に食べ頃になるよう発酵食を仕込みますので、そのことをよくご存知のお客様は、3日ほど前から『○日に行くよー』とご連絡くださいますね」と角地さん。
この日は、私たちのために小鉢を数種と、菌寿司を用意してくださいました。
「こちらは、味噌に牡蠣を漬け込んだものです。その牡蠣の上から、黒豆を用いて仕込んだ自家製の玄米味噌をトッピング。牡蠣は醤油ベースの発酵調味料に仕込むことも多いですが、今日は味噌ベースにしてみました。この味噌は、塩分控えめ。うちは日本酒を飲まれる方が圧倒的に多いので、そうしたお客様にも人気の小鉢です」
菌太郎では、毎年冬になると2〜3種類の味噌を大量に仕込むそう。
「出来上がった味噌をいろいろとブレンドするので、だいたい6〜7種類の味噌を使っていることになりますね」
「こちらは、厚揚げの上に『鰹の燻製味噌』を乗せました。私は、季節ごとにさまざまなおつまみ味噌をつくるのですが、この鰹の燻製味噌は当店の定番。お酒はもちろん、ごはんにもよく合います」
もうひとつの定番「ホタテの酒粕麹漬け」は、もずくとともにいただきます。
「ここで使っているもずくは、もずく酢ではなく、生のもずく。塩麹、酒粕といった発酵調味料が、ホタテの旨みを最大限に引き立てたこの「ホタテの酒粕麹漬け」ともずくの相性は抜群です」
元寿司職人で発酵マニアを自称する角地さんが、自身の持つ技術と知識を総動員して提供するのが「菌寿司」です。季節の魚なども織り交ぜながら、提供されるこの寿司は、まさに菌太郎の看板メニュー。まぐろなどの定番の魚に季節の魚なども織り交ぜ、会席の最後に供されます。
「まず一番右は、ヤリイカです。上に乗っているのは、うちでつくっている醤油です。“食べる醤油”とお客様には説明していますが正確に言うと『醤(ひしお)』です。大豆、糀を用いて醤油を仕込み、 絞った液体のほうが醤油で、絞る前の大豆が残っているのが醤です。この大豆がすごく濃厚でイカにとても合うんです。醤のおいしさを存分に味わっていただける寿司です」
口に入れると、甘みのあるイカをやさしい味わいの醤が引き立てているのがよくわかります。口にした瞬間に「おいしい!」という言葉がこぼれます。
「次に、ホタテに乗せているのが熟成酒粕です。熟成酒粕は、淡白な味わいのものに乗せるとおいしいです」
熟成酒粕は、奈良漬をイメージするといいと角地さんはいいます。その言葉どおり、奈良漬を思わせる酒粕の風味とホタテがしっかりと互いの良さを際立たせています。
「味噌を仕込む時、一番上を塩で蓋をするのが一般的ですが、うちは酒粕で蓋をします。つくりたての味噌に酒粕をぺったりとならしていくんです。そうすると味噌が一切空気に触れないので、カビが生えることがありません。しかも酒粕は全部食べられる。味噌を仕込む過程で“たまり”という液体が浮いてきます。酒粕はこのたまりを吸い上げてくれ、1〜2カ月経つと、白かった酒粕が茶色く色づいてきます。今日のものは約8カ月ほど味噌の上に置いておいたものです」
これをつくるために味噌を仕込んでいるようなものと角地さん。
味噌、上に乗せた酒粕はもちろん、味噌と酒粕をブレンドした味噌酒粕がとてもいい味わいなんだとか。それぞれさまざまな調理に使用しています。
「味噌酒粕は、お肉に乗せてもおいしいです。もうこれは宝です。大事に大事に1年かけて使っていきます。味噌酒粕は、鶏肉にも合いますね」
「その次は、昆布締めの鯛に、醤油漬けの山椒を乗せたお寿司です。食べてみてください」という声とともに、次はどんな味わいだろうと口に含むと、昆布締めすることで旨みを増した鯛と山椒の爽やかな風味が口いっぱいに広がります。
その様子を見ながら、「ところで山椒は、植物としては何類に属するかわかりますか?」とにこにことした表情の角地さん。何だろう?と考えていると、「実は、山椒って柑橘類なんですよ」と教えてくれます。確かに言われてみれば、山椒の味わいの奥に、すだちやかぼすなどの柑橘の爽やかさと苦みに似たものを感じます。
「山椒って辛いイメージがありますし、うなぎや麻婆豆腐に使う香辛料のイメージが強いです。でも実は柑橘類で、醤油に漬けると辛味も全然ない。ですから、私は白身魚とともに醤油山椒を一緒に味わっていただくことが多いですね」
いよいよ最後のお寿司は、菌寿司では定番のマグロのお寿司です。
「マグロに合わせたのは青唐辛子味噌。青唐辛子味噌はピリッとした辛みがトロの脂の甘味ととても合います。寿司を握っている板前さんの様子を見ていると、ネタに合わせてわさびの量を5段階ぐらい使い分けてるんですよ。イカやタコといった淡白な味のものには、わさびは少ししか使いません。でも大トロのときには、その5倍ほどのわさびを使うんです。マグロはそれだけ辛味と相性が良く、青唐辛子とも相性抜群なんです」
そんなお話を伺いながら寿司を握る角地さんの手があまりにも美しく、思わず目が留まります。そのことをお伝えすると「寿司の板前は手がきれいでないと、というのは修行時代から言われることです。併せて、私は毎日発酵食品を食べていますし、毎日ぬか床に手を入れて、ぬか漬けをつけています。やはりそれによって手がつやつやしているんだろうなと思います。そういう意味では、この手は僕がやってきたことの証。私の一番の自慢ですね」
角地さんはそう言って笑います。
さらに、角地さんは続けます。
「私は発酵食を食べているおかげか、風邪もひかず、こんなに健康に毎日仕事できている。私が何よりの証明なんです。ですから、この店に来るようになって健康を意識しだしたって話を聞くと本当に嬉しいし、より多くの人に発酵食のことを知ってほしいって思います。
この店のコンセプトは『楽しく飲んで、健康に』なんです。これが一番ハッピーじゃないですか。お酒って飲みすぎると、体に悪いイメージもあります。でも、ほどほどにお酒を楽しんで体に良いものを食べて、明日目覚めが良ければ最高じゃないですか。これからも発酵食のおいしさ、素晴らしさを多くの人に伝えていきたいです」