前述のように私たちの身の回りには、微生物を利用したものが数多くあります(図6)。具体的にその一例を紹介します。
医薬での微生物の利用としては、まず抗生物質が大きな役割を担っています。抗生物質とは、「微生物が産生する物質で、他の微生物の生育を阻害する物質」と定義されています(図7)。世界最初の抗生物質は、フレミングにより青カビから発見されています。この発見を契機に、放線菌から発見されたストレプトマイシンや多くの抗生物質が世に送り出され、人は結核や多くの感染症から解放されました。今日では、医者にかかると当然のように抗生物質が処方され、我々は微生物の作り出した抗生物質のお陰で病気が治っています。また整腸剤とし服用している乳酸菌製剤は、乳酸菌を培養して乾燥後、錠剤にしたもので、細菌の菌体自体を経口投与しています。腸内の乳酸菌バランスを改善することにより、整腸効果が得られます。
図6. 私たちの生活に密着した微生物を利用したもの
図7. 抗生物質による細菌の生育阻害
ろ紙に含まれる抗生物質が細菌の生育を阻害して、ろ紙の周りは阻止円が形成されています。
日本で開発された微生物利用で有名な事例は、酵素洗剤です。洗剤の主成分は界面活性剤(石鹸)ですが、タンパク質を含んだ襟の汚れは落ちにくいことから、洗剤にバチルスのタンバク質分解酵素が配合され、飛躍的に洗浄力がアップされました。その後、繊維分解酵素や脂質分解酵素なども添加されるようになり、洗浄力は格段に良くなっているようです。
バイオエタノールは、石油に替わる次世代燃科として注目されていますが、サトウキビやトウモロコシ、ジャガイモを酵母で発酵して作られています。食料をアルコール発酵するのではなく、木材バイオマスを糖化してアルコール発酵ができれば、未利用資源のエネルギーヘの有効活用になるものと研究が進められています。
発酵食品における微生物利用の最たるものは、酒類であると考えられています。世界各国に独自の酒類が発達していますが、基本は糖分を酵母によりアルコール発酵させて造られます。製造法による酒類の分類としては、醸造酒、蒸留酒、混成酒の3種類があります。酵母によりアルコール発酵させて作った酒が醸造酒で、醸造酒を蒸留して造った酒が蒸留酒、醸造酒や蒸留酒に花、葉や果実などを浸して造った酒が混成酒です。
酒類における醸造酒は、糖化と発酵の組み合わせにより、単発発酵、複発発酵に分類されます(図8)。単発発酵は、ぶどうやりんごなどの果実や甘藷汁など糖を含むものを酵母で発酵させてお酒にしたもので、ワインのように原料の良し悪しが酒質に影響を及ぼすとされています。
図8. 単発酵と並行複発酵
また複発酵酒は、穀類やいも類のデンプンを一旦糖化し、その後に発酵させたお酒で、厳密に言えば糖化は発酵ではありませんが、2回の発酵を経たと考えて複発酵酒と名づけられています。複発酵酒は単行複発酵酒と並行複発酵酒に分類され、ビールは、麦芽の酵素で糖化を完了してから、酵母による発酵を行わせるので単行複発酵酒に分類されます。焼酎も同様に、色々な原料で、一旦、複発酵で醸造酒を造り、その後、蒸留して作られています。
我が国の清酒は、米、米麹、水を原料に用い、米麹に含まれる麹菌の糖化酵素で米デンプンを糖化し、清酒酵母でアルコール発酵をして造られます。この工程は、三段仕込みにより糖化と発酵を同時に行っているので、並行複発酵酒と言われています。清酒において20%のアルコールを生成するには理論上40%の糖分が必要になる計算ですが、多量の糖分があると酵母が発酵できないので、並行複発酵による製法で造られています。
図9.円盤製麴装置 麹を衛生的に大規模で製造する場合、このような装置が用いられます。
味噌や醤油も麹(図9)を用いますが、麹菌のデンプン糖化酵素だけではなくタンパク質分解酵素やその他の酵素の働きで、原料を分解します。次に、食塩存在下でも増殖出来る耐塩性乳酸菌による乳酸発酵を経て、さらに耐塩性酵母によるアルコール発酵により醸造されます。味噌や醤油は、多くの微生物の共同作業により造られていて、多くの成分を含む複雑な味をもつ調味料であるとともに、優れた保存食としても有効です。醸造過程で造られる乳酸などの有機酸や、アルコール類と仕込み原料である食塩によって、食中毒菌などの繁殖を妨げる効果を持っています(図10)。
食塩11.2%味噌に混入された大腸菌の推移
食塩11.2%味噌に混入されたブドウ球菌の推移
図10. 味噌中の微生物の推移
出典:日本醸造協会誌 Vol 76, No.12, p.812~826(1981) 窪田ら
ヨーグルト、乳酸菌飲料、チーズは、乳酸菌による乳酸発酵を利用して製造されています。乳酸菌とは、細菌の内、糖類を分解して多量の乳酸を生成する菌の総称で、分類学上、球菌と桿菌に分けられます。さらに発酵形式により、ブドウ糖を資化して乳酸だけを生成するホモ型発酵菌と、ブドウ糖を資化して乳酸以外にエタノールと二酸化炭素を生成するヘテロ型発酵菌があります。乳酸菌は、乳酸発酵により生成した乳酸により発酵食品に酸味を付与するだけではなく、旨みを増したり、乳酸でpHを下げて食品の保存性も高めています。さらに乳酸菌の摂取は、腸内細菌の細菌叢の改善に繋がり、健康維持にも役立っています。
このような観点から、ヨーグルトなどに乳酸菌ではないが、腸内細菌であるビフィズス菌も用いられています。乳酸菌飲料には、健康効果が期待できる生きた乳酸菌が入っているものと、殺菌により生きている乳酸菌は入っていないものの2種類があります。この死菌体は、直接腸内で生育して作用すること(プロバイオティクス)はないものの、その菌体や生成物が人の健康に付与すること(プレバイオティクス)について注目されています。チーズは、牛乳のタンパク質を、仔牛の第四胃からとった凝乳酵素であるレンネットで分解し、固めたもので、乳酸菌による発酵熟成により旨みを増したものです。中にはカマンベールやロックフォールなどのように、白カビや青カビによる熟成を行ったものもあります。日本人はどちらかというと淡白な味を好むことから、ナチュラルチーズを数種類溶解して個性を消した後に固めたプロセスチーズが日本では昔から作られています。
漬物は、野菜に食塩をまぶしたりして、独特の風味をもつ加工食品であり、中には微生物の発酵により作られているものもあります。糠味噌漬では乳酸菌と酵母が風味形成に重要な役割を果たしています。また、キムチや木曽地方のスンキ漬では、乳酸菌による乳酸発酵により独特な酸味のある漬物になっています。漬物から分離される乳酸菌は、発酵乳などに用いられる乳酸菌よりも過酷な環境で生存していて、いろいろな機能性を持っていることから、近年、これらの乳酸菌は植物性乳酸菌と名づけられています。